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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

父の資産を横領した政治的背景 堤康次郎 竹田儀一(永井柳太郎)-清和会

2005年06月24日 10時36分15秒 | 桜井芳忠

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

これまでのブログで父の資産を横領するため如何にして狡猾な手段を用いてきたを述べた。 しかしその背景には政治的大物がいて、桜井能唯や弁谷貞造等が言葉巧みに利用してきた。 父の戸籍上の子供は永井柳太郎の子供である事は既に述べた。 永井柳太郎は早稲田騒動で早稲田を追放されたが、大隈重信はその才を惜しめ、父に政界進出の 助力を依頼、父が中心となって永井柳太郎の政界進出を図った。 それに便乗したのが堤康次郎で、永井柳太郎亡きあとは私の父はその隠し子まで引きとって自分の戸籍に 入れたのである。 永井柳太郎の秘書をしていたのが竹田儀一で、父の各種会社の取締役をしており永井柳太郎の 資金パイプであった。 堤康次郎は永井柳太郎には頭が上がらなかった。 永井柳太郎の秘書竹田儀一は戦後は厚生大臣等を歴任病院関係には強い繋がりがあった。 父の背景には堤康次郎があり、父が永井柳太郎の子供を認知した関係で、堤康次郎は父の 家の内情にくわしかった。 一方戦後の政界で著しい発展をしたのが,益谷秀次で戦前は父と同じ選挙区でライバル関係にあり いつも父のみ当選していた。 この益谷秀次と弁谷家はいくらか親戚関係であった。 この関係は桜井能唯と同じ程度の間柄であった・ この永井柳太郎の秘書竹田儀一は保守本流の派閥の資金団体の代表で、昭和48年死亡するまで 政治資金団体の代表であった。 この世話人の中に本ブログの冒頭で述べた三和銀行の頭取渡辺忠雄氏がいたのである。 こういった人脈の中に父の村役場に放火させた延命順作がいたのである。 これだ父の資産の乗っ取りの背景が判ろうというものである・ ぞの相手が金澤国立病院で脳天を叩かれ馬鹿になった私一人であるから、事は簡単である。 しかし戸籍上の子供を私のように脳天を強打して、馬鹿にすることは出来ず、父の会社を 地上から消してしまう事であった。 しかし最後まで消す事が出来なかったのが、康楽寺の仮殿であり、父の遺言である康楽寺の 本殿建築計画であった。 これが先のブログで述べた金澤地裁に提訴した康楽寺た建物収去事件である。 本プログの写真は康楽寺仮殿の裏を撮影したものであるが、先のブログの図面とは全然似たところ がない。 また康楽寺の仮殿は未登記物件であるから、登記簿謄本があること事態が嘘であることを証明している。 従って金澤地裁に提出した康楽寺の建物の登記簿謄本は偽者であることは明白である。


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