白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

仮処分申立書

2008年08月15日 13時40分10秒 | 桜井芳忠

この写真は昭和19年12月14日撮られた。父の横はバシでその後ろに居るのが申立書の債権者。康楽寺の仏間での法要で、終戦間近い時で、債権者は十歳の時である。この仏間の仏壇の中には水晶の中に収められた仏舎利があった。桜井能唯がこの仏壇ごと自宅に持ちかえり、自己のものだとして世間を欺いている。横領を平気で公言しているとは、父は嘆いている事だろう。

 

           仮処分申立書    

 平成20年7月27日 富山地方裁判所 御中                                                                

   住所 東京都     債権者 辨谷拓五郎           

   住所  富山県富山市堤町通り1丁目2番地26号     

   株式会社 ほくほくフイナンシャルグループ

     債務者 株式会社 北陸銀行              

        右代表取締役  高木繁雄

被相続人辨谷ハシに係わる債権者が提出した「相続関係届出書」による訴外辨谷貞造(平成18年3月14日死亡)の訴外日本観光株式会社の債務保証を債権者の了解もなく、債務者が株式会社住宅金融債権管理機構(整理回収機構)へ支払ったのは、債権者の相続の権利を無視した不当な手続きであるので、債権者の損害を復旧すべき訴訟の提起のため、債権者の提出した本「相続手続き申請書」の債務者に保管してある原本、即ち本「相関係届出書」に債務者が金額等を書込みした債務者が捺印した原本及び本原本による株式会社住宅金融債権管理機構(整理回収機構)への支払い証書および被相続人の、債務者本店にある本口座預金等の顧客勘定元帳及び本口座開設契約書(訴外桜井兵五郎が開設した)を債務者の占有を解き,本決定の日から二週間富山地裁執行官に保管を命ずる。執行官は右保管にかかる上記一切の書類台帳を,その保管場所に於いて債権者並びに債務者に閲覧謄写を許さなければならない。 との裁判を求める。           申し立ての趣旨 1.平成15年7月28日債権者は債務者 株式会社北陸銀行 代表取締役   高木繁雄にたいして、(「疎甲1号証」)「相続関係届出書」を提出,(債権者の当日付け印鑑証明添付)被相続人辨谷ハシが管理する、債権者の相続に係わる信託財産である財団康楽寺(訴外桜井兵五郎の資産の信託口座)の確認及び訴外桜井兵五郎の康楽寺財団の振り込み明細を記した財団に関する信託(財団)の確認を求めるため、「相続関係届出書」に署名実印と挿印し、債権者の印鑑証明を添付した、表記債務者代表取締役高木繁雄宛、上記財団信託口座の内容確認の書状を、同封平成15年7月28日付け「書留」で送付した。2.しかしながらその後3週間程経過しても債務者代表取締役高木繁雄より何ら返事がないので、平成15年8月19日今回は内容証明により債務者代表取締役 高木繁雄宛(「疎甲 2号証」)債権者の相続に係わる財団康楽寺係わる口座についての再度確認を内容証明にて申請した。 また 本内容証明には、当日平成15年8月19日まで債務者から回答がないのは、当該「相続関係届出書」が悪用される恐れが多大なので、平成15年7月28日付け送付した「相続関係届出書」の原本を債権者に至急返送されたい。との記載した書面の内容証明を債務者北陸銀行代表取締役高木繁雄宛送付した。当時北陸銀行はホールヂングカンパニーを作り、国の資本注入を受け入れる準備中であることを後で知った。整理回収機構から資本の注入を受け入れて居る時であった。 3.しかるに債務者 代表取締役 高木繁雄は整理回収機構の絡んだ債権者の問題に、回答を忌避したのか、債権者に誠実なる回答をすべきであるにかかわらず、今日まで何ら回答を寄せていない。そればかりか債権者の相続にかかわる信託勘定に係わる預貯金等を債権者のなんの了解も得ず、債務者の当時の優先株主である整理回収機構に、訴外辨谷貞造の債務保証の肩代わりをし、(信託法17条で信託財産の相殺を禁止をしている)債権者の相続にかかわる預貯金を支払った事は明白である。(「疎甲4号証」)   尚債権者が内容証明を債務者代表取締役 高木繁雄に送った後の十日後の平成15年  8月29日になってから、金沢小立野支店長名義で当店は何ら調査権  限がないので調べようがないとの返事がきた。(「疎甲3号証」)その際被相続人の百数十万円の銀行残高表等が届いたが、辨谷貞造が整理回収機構に債務保証している金額は13億円であり、支店にこの様な大金が預金してあるはずもなく、辨谷貞造が債権者に捺印させるため債務者との共同謀議した上、被相続人の(「疎甲1号証」)「相続関係届出書」に鉛筆で、辨谷貞造が百数十万円の金額を手書きした「相続関係届出書」を債権者に送付したもので、辨谷貞造及び辨谷昌造の署名と実印が押して在り、印鑑証明が各添付されていたが辨谷貞造が本人の印鑑証明を返還して欲しいというので、辨谷貞造の印鑑証明は返送した。このことは被相続人辨谷はしの死亡した平成11年8月1日の後の葬儀の終わったその歳の秋ごろであった、債権者はその後5年間は辨谷貞造、昌造の「相続関係届出書」の捺印を拒否してきた。十億を超す金額は当然本店の代表取締役の権限に属する銀行業務に属するものである。 債務者代表取締役高木繁雄宛内容証明をだしているのは以上の事情によるもので、実際は本店の代表取締役の業務であると確信しており、支店長や辨谷貞造に送付しなかったのである。果たせるかな債務者高木繁雄は代表取締役としての、本件回答義務をするべき立場にありながら、金沢小立野一支店長に委任している。確かに日本観光株式会社は第一勧銀や三和銀行をメインとしており、辨谷貞造が会社のトップとなってから、また会社が左前となってから北陸銀行小立野支店を使い出している。特に辨谷貞造の妻智子が平成元年北陸三県の高額所得者となってから、小立野支店との取引が強固となったようである。本店がこのことを承認していたからであろう。従って債権者が北陸銀行頭取宛出状した、最高シークレットに属する問題を、これを一支店長が、まして一ヶ月ほど前に出した同日付け平成15年7月28日付け債権者の印鑑証明を添付し、かつ債権者の実印を押した「相続関係書類」及び同封した書面については、一切触れず、いくら北陸銀行代表取締役高木繁雄の上司の命令とはいえ、右の疎甲3号証を債権者に送付するとは,法令コンプライアンスが如何に遵守されていないかをしめすものである。しかも申請人に回答してきた当該支店長は印鑑証明付「相続関係届出書」については未提出としている。 平成15年7月28日付け債務者表記代表取締役高木繁雄宛送付した、被相続人辨谷ハシの債権者の捺印した「相続関係届出書」は、債務者の本店に於いて偽造し(辨谷貞造に通報し辨谷貞造の印鑑証明が添付されてなかったので、辨谷貞造から印鑑証明を取り寄せ、また辨谷昌造の印鑑証明が古くなっていたため、辨谷昌造の印鑑証明も取り寄せ、辨谷貞造が代表して提出した体裁を整えた上)悪用{株式会社住宅金融債権管理機構「整理回収機構」)に辨谷貞造の保証債務を支払った)したことは明白である。、 または株式会社住宅金融債権管理機構(整理回収機構)の辨谷貞造の債務保証を,債務者が整理回収機構に保証手続きが終わっていたものであろう。何故な辨谷貞造が株式会社住宅債券管理機構(以下整理回収機構と言う)への債務保証の裁判が確定したのは、被相続人が死亡する前の時であり、{「疎甲4号証」)その時点で被相続人の本「相続関係届出書」の口座は自動的に整理回収機構に支払われていておかしくないのである。しかしそれが出来なかったのは、債権者の権利を債務者が知っており、債権者の印鑑証明を要求したからであろう。 何故ならそれまで被相続人の「相続関係届出書」の捺印を被相続人が死亡した平成11年8月1日以来、頻繁に捺印の催促があり、債権者は後で述べる理由で挿印を拒否をしていたのだが、剰りにも執用に債権者の挿印を要求してきたので、平成15年7月28日に債務者代表取締役宛債権者が押印した「相続関係届出書」及び債権者の同日付け{印鑑証明}を添付し送付してから、それまでの間の手紙、電話等で辨谷貞造、昌造が交代で、で朝に夜を問わず債権者に相続関係書類の捺印を催促を来ていたのが、これ以降ピタリと止まった事からも明らかである。本来なら辨谷貞造が自分で行った債務保証は,自分の家屋敷を競売にかけても支払うべきところ、そのような事はなく、被相続人の口座で債務保証の支払いが出来、被相続人辨谷ハシの財産を財産放棄しただけで済んだことは確かである。{「疎甲40号証」辨谷昌造の平成20年5月19日付け手紙)しかもこれまで整理回収機構より債権者に被相続人の相続放棄の依頼もこれまで一度もなかった。しかし共同相続人である辨谷昌造には整理回収機構から,相続放棄の書類が届いているという。{「疎甲40号証」)  これは明らかに債務者 代表取締役高木繁雄が整理回収機構に支払うべき辨谷貞造の債務保証を支払った事に他ならない。債務者代表取締役高木繁雄の銀行業務の義務違反であり、訴外辨谷貞造と通謀の上、債権者が債務者に送った「相続関係手届出書」類を悪用し  債権者の相続に関わる預貯金を整理回収機構に支払ったものであり  それ以降即ち平成15年7月28日以来5年近くも経過した今日まで、債権者に対する適正なる行為を行っていない。つまり回答を寄せていないことからも明らかである。  訴外辨谷貞造と通謀の上、債務者代表取締役高木繁雄は銀行としての業務上の5年時効の到来を待っているとしか考えられない。   顧客の大切な預貯金を預かる銀行の頭取の本件に関する責任は重大である。  現在はホールヂングカンパニーの代表取締役を兼任しているから、その責任は重大である。  債務者は債権者の相続に関わる預貯金の現状回復をする義務がある。  上述のごとく平成15年8月19日の内容証明で、「相続関係届出書」(疎明書類第一号)の速やかなる返還を申し立ててあるにもかかわらず, 今日まで当該書類は債権者まで返送さされてきていない。しかも小立野支店長 も債権者の相続関係書類については未提出としている。平成15年7月28日債務者高木繁雄宛送付した、被相続人辨谷ハシの{相続関係書類」を債務者代表取締役高木繁雄が搾取し、辨谷貞造の便宜を図り、債務者の不正を隠蔽したものである。債権者が提出した「相続関係届出書」を故意に紛失を装い、または搾取したとすれば、訴外辨谷貞造の横領を知りながら債務保証を支払ったことになり、横領の幇助となる行為である。  最近になって訴外辨谷貞造の弟訴外辨谷昌造から、被相続人の相続放棄を  迫る手紙を受けとった。(「疎甲40号証」)この手紙によると債権者が被相続人の相続を放棄しないと、整理回収機構に1億数千万円の借財を債権者が支払わなければならないと書かれている。 債権者が平成15年7月28日付けで送付した、債権者の実印を捺印した被相続人の「相続関係届出書」で、辨谷貞造の債務保証金額を支払ったことを暗に言っているのである。つまり整理回収機構の保証人辨谷貞造の確定した保証債務を支払ったので、債権者も相続分を放棄しろと言う内容である。  しかも辨谷昌造は明確な表現を避けて、辨谷貞造の保証債務が債権者に来  ると脅迫しているのである。債権を取り立てる行為は弁護士しか出来    ないのにである。しかも整理回収機構より債権者には何の連絡も無い。   この訴外辨谷昌造の行為は債務者と一体となって、債権者に対する詐害行  為に他ならない。  これまで述べた訴外辨谷貞造の株式会社住宅金融債権管理機構(以後整理回収機構と言う)に対する確定債務は下記の通りである。{「疎甲4号証」東京地裁平成10年(フ)第2734日本観光株式会社破産事件に提出した辨谷貞造の判決による確定債務金額13億41百万円の届出書)   上記金額の内、整理債権回収機構に辨谷貞造が支払うべき確定債務保証金額即ち訴外日本観光株式会社の保証債務の内容は下記の通りである。 1) 名古屋地方裁判所平成9年(ワ)第3730号貸し金請求事件につき平成9年10月29日言い渡された判決正本に基づく原告会社住宅金融債権管理機構に支払うべき保証額一億円 2)名古屋地方裁判所の平成11年(ワ)第82号貸し金請求事件について、平成11年3月4日言い渡された判決正本基づく原告会社住宅金融債権管理機構に支払うべき債務保証金7億9千8百万円 3)金沢地方裁判所平成10年(ワ)室47号貸し金請求事件の平成10年12月11日承諾証書正本に基づく興能信用金庫に支払うべき金額3千万円 3)北国銀行の昭和57年6月付け銀行取引契約に基づき連体債務保証の4億 1千2百万円上記金額の内住宅金融債権機構に支払うべき辨谷貞造の債務保証金額は約9億円であるが、北國銀行及び興能信金の債権を整理回収機構が買い取っておれば合計約13億円となるが、その可能性は高いのでるが、他に連体保証人が二名いるが、支払能力は無く、辨谷貞造が支払うことになっていた。併し以上のことは、被相続人が死亡した平成11年8月1日から、平成15年半ばまで債権者が「相続関係届出書」類に捺印しないものであるから、被相続人死亡後5年近く経過した後に起きたことであることが重要である。債務者は辨谷貞造の整理回収機構の保証債務を、既に肩代わりしていたか整理回収機構からの圧力があったからであろう。兎に角早急に被相続人の「相続関係届出書」の署名、捺印、印鑑証明が火急に必要であったのである。 尚辨谷貞造が死亡してから2年近くたって本年になり、辨谷昌造から被相続人の相続放棄を求める手紙(「疎甲40号証」)であることは重大である。 これまで債権者は被相続人辨谷ハシより度々白紙委任状を取られており、信頼関係が無くなっており、後で述べるような債権者に対する非人道的な行為があったので今回は簡単に捺印をしなかった経緯がある。しかし再三述べるように、債権者は上記債務者宛てにて書留で被相続人の「相続関係届出書」に実印を捺印し、債権者の訴外桜井兵五郎の相続確認のため、被相続人の「相続関係届出書」を送ったところ債務者は、債権者の権利を無視し、勝手に相続関係書類を偽造して辨谷貞造の債務保証の金額を支払ったことは以上の経過から明らかである。被相続人辨谷はしの本口座については,以下詳しく述べるが、辨谷はしの本口座に振り込まれた金額は、辨谷貞造および昌造には相続権は発生するものではない。従って辨谷はしの「相続関係届出書」より、債権者の承諾を得ず整理回収機構に支払った債務者右代表取締役の行為は、債務者の信義則違反であり、銀行に過失があった場合に当たり,しかも債務者の悪意ある過失である。債務者は裁判所による支払い命令書に基づいて、債務者が予てから辨谷貞造の債務保証をしていたので債務金額を相殺したものであろう。 被相続人辨谷はしの口座は、昭和19年に訴外桜井兵五郎(「疎甲5号証」より、債務者銀行に開設されたものであり、口座開設契約により債務者銀行が信託的管理を行うべき契約になっており、財団康楽寺の財団の資産の信託とともに、社会福祉等たとえば奨学金の支払いなどを規定しており、債務者は当該信託とともに本口座を管理する口座開設契約をして今日までに至っている。債務者が昭和29年債権者(債権者は昭和10年12月2日生まれである)が未成年時代に、大蔵省の方針として信託の業務から撤退したとしても、当該信託の契約の当事者として当該信託については信託終了まで責任があるのである。(信託完了の責任、信託法26条一項「已むを得ざる場合は信託行為の客観的目的に沿う「よりよき執行者への信託事務の再委託または共同受託者があれば全員一致が原則である信託法24条二項)信託法27条29条前受託者の信託違反により生じた損失補填など信託財産の復旧に関する請求権及び信託法弟51条など関連してける。 信託契約と同時に口座開設が上記の様になされており、債務者銀行は本口座の信託的管理義務が現在もあるからである。以下債権者の訴外桜井兵五郎との相続関係及び被相続人辨谷ハシの「相続関係届出書」の預貯金の性質、およびこれまでの債務者辨谷貞造の保証および被相続人辨谷ハシが本口座の預金を管理してきた経緯等について述べるものである。 一. 被相続人辨谷ハシの債務者北陸銀行本店に開設してある口座および預金 被相続人辨谷ハシの債務者銀行に開設してある口座は、債権者の父である訴外桜井兵五郎 (以下債権者の父という)がその終生の事業である金沢市湯涌町に設立した康楽寺の本殿の建設の為、自己の資産をすべてこの事業に寄付し、信託により運営 事業を完成するための信託契約により開設されたものである。上記のように父は自分の資産を信託する際当然口座を開設していた。これが本口座である。 辨谷ハシ名義になったのは、債権者の父が債権者を辨谷家に預けていた関係から、債権者が未だ15歳の時の昭和26年2月11日父が亡くなった関係で、父の口座の管理を辨谷ハシに本口座管理人として委託したためである。  債権者が成人した時には、辨谷ハシは債権者に父の口座を渡すべきであった が、父から康楽寺の資産の口座管理人を委託された辨谷ハシは、父の信頼を裏切り、自己の金銭的欲望を満たすため、債権者から白紙 委任状を騙し取り、平成11年8月1日に死去するまで管理していたが、死期が迫る頃より、その口座を辨谷貞造が勝手に管理していた。従って辨谷ハシの本口座の信託管理口座(受益権)は父を相続すべき債権者のものであり、辨谷ハシは単なる口座管理人に過ぎず、辨谷貞造または辨谷昌造が辨谷ハシの本口座を相続する権利はないのである。以上が今日に至っている辨谷ハシ名義の口座であり、父の信託した銀行(父が昭和19年当初本口座を開いて信託を開始したのが北陸銀行で,昭和26年2月11日東京都中央区京橋宝町1丁目2番地の日本タイプライタービルで死去(「疎甲29号証)、その後北陸銀行の信託部門は昭和三〇年代に安田信託銀行に移行?または代人に再委託した場合は、当然債権者に告知すべき義務がある。) 父の信託資産を委託した信託銀行(当時の三和銀行、第一勧業銀行、三井信託銀行)やその他の管理人、父の北陸銀行との間の信託契約で定められていた、石川県珠洲市上戸町所在の竹端仁作(「疎甲21、43号証」)は北陸電力の前身高岡電灯株式会社の監査役で、父の電力株の株式の管理人であった。)また近藤荒樹(近藤商事を経営しており、債権者の父のライター株式会社の株式等)からこの父の口座に毎年定期的に資金が振り込まれるようになっていた。 本口座の開設の経緯は債権者の父の生涯の事業である、康楽寺の本殿を建設する以下のような事情から出来たものである。 二  父の生涯の事業としていた康楽寺の本殿建設について 金沢市郊外湯涌町に康楽寺本殿を建立するについて本殿建設の資金を北陸銀行に信託して本口座を開設 父の生涯の事業としていた 康楽本殿の完成予定図 当時は大東亜寺であったが 第二次大戦後康楽寺と改称 した。 大東亜寺(現康楽寺)は、昭和19年5月17日読売報知紙面上で発表されその内容は下記の通りである。(「疎甲5号証」)「境内実に50万坪 加賀に建つ”日緬を結ぶ絆” 去る14日入京したバー・ハン博士特別調査隊がはるばるビルマから捧持して来た仏舎利は近く盛大な贈呈式を行ったのち桜井兵五郎氏が勧請建立する加賀白山の大東亜寺と鶴見総持寺、高野山、京都東本願寺(予定)四箇所に寄遷され日緬両国民の心を結ぶ永遠の絆になって安置されるが最大の安置所と目される大東亜寺の設計図が出来上がり、規模と構想が明らかにされた。(写真は大東亜寺の鳥瞰図)もともとこの大東亜寺は陸軍軍政の最高顧問として新ビルマ建設戦につくした桜井氏が皇室のご安泰を祈念し、併せて大東亜戦に散った行軍勇士と民族の先駆となって南方に骨を埋めた同胞先覚者の慰霊のためにラングーン滞在中同地のシュエダゴン・パコダのアレトヤ・セラト大僧正から仏舎利を祭るべく建立を計画されていた。ものである 咋秋十一月大東亜会議列席に来朝したバー・モウビルマ国家代表に桜井氏からこの計画を話したところ非常に喜び、それではビルマで最も由緒正しき仏舎利を贈ろうと約束したのが、今度バー・ハーン博士の来訪で果たされたのである。 大東亜寺の建立される位置は眼下に日本海の波濤を加賀白山連山の一峰、高尾山(海抜千二百尺)の中腹で、本殿は鉄筋コンクリート高さ百八十尺、敷地三百八十坪の白亜のパゴダである。 續は下記ホームページ http://homepage2.nifty.com/hakuunrou/

疎甲号証     本文の全部  決定は上記HPより     


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