財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
当時は私は麻布の桜井清次宅のガレージの改造した、陽の当たらない窪地に生活していたのだが、浅草のヤクザの会社を2ヶ月で止めた。貞造の友人が勤めているとの話であったが、その友人は私の面倒など全然関心の無い男であった。いつ会社に来ていつ退社するのかも、会社は感知しないようであった。
本当に友人なのかヤクザなのか、全く分からない存在であった。
貞造はそれ以降一向に、私に関心を示さなく、会社を紹介しても我関せずの態度であった。もっとも貞造は日本観光を破産させることを平気でやる男であるから、私のような者はチョロイ存在だったのだろう。会社を潰して入った金は妻の智子の相続だとすることを平気でやえる男である。金のためならヤクザや政治家を、操るこては慣れていたのであろう。人を使って私を陥れることなぞ、朝飯前だったに違いない。
後年日本観光が総会屋の巣窟になり、それを利用して会社を倒産させたからである。
父が必ず遺言書を残してあるはずだと、弁谷ハシに詰め寄った時、ハシは桜井清次が持っているというので、それを見せろというと、お前の名前は遺言状には出てこない。自分の子供は誰と誰かその中に書いてあり、お前の名前は全然出てこないとぬかしたのである。
恥ずかしい話であるが、私はそれに反論する気力に欠けていた。
私の母三条西治子が何故私のことを心配していたのか、この時は既に遅かったのである。私はそれ以前4~5年前に頭を破壊されていたからである。
私と母が別れる時母の嫁ぐ先の三条西の名前を忘れると、大変なことになるといったことが現実となったのである。
私は過去を失い、自分を失い、ハシに手篭めにされたのである。
今日あるのを見越して、ハシや貞造、桜井清次は対処していたのである。いかに私が馬鹿であるかを世間に知らしめるこのに、専念していたのである。
私は自分の母である三条西治子のことを、忘却しハシを自分の母を思っていた程の馬鹿者であった。
このため私は人生を高校1年の時、自分が地獄の奈落に突き落とされたことがハシの姦計であったことを自覚できない程、毒薬を飲まされていたのである。辨谷栄が呼んで私を占わせた通りになったのである。年増が私の人生を滅茶苦茶にすると言ったが、彼らはその通り実行したのである。占い師に言わせ、私にある暗示を掛けたのである。人間はおかしな者で、人に言わせておくとまさか自分に降りかかるとは思わないものである。魔性の人間はそれを人に言わしめて、実行するのである。自分が直接手を下さなくても、他人を利用し、毒薬を利用したり、神経作戦を旨く利用するのである。絶えず念力と言うか、威圧感や恐怖感を与えていけば弱い物は自分の思うままになるのである。