白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

上戸の長者竹端仁作(6)父の資産乗っ取り 財団管理人弁谷栄、ハシ

2007年02月06日 15時07分37秒 | 西武鉄道

旧三和銀行、富士銀行の父の財団の復旧の責任

 竹端仁作は父の資産を管理する立場にあった。何故かと言うと、竹端家は当地の最有力資産家であり、昭和初年の経済危機の際、当地の資産家は多大の損害を蒙り、彼等の投資していた事業が破綻して、投資先の自治体が破産したのである。この事態を救助すべく久父が肩代わりをしてたのである。そのため名義は父の名前にならなかったが、当地方の有力者に信託したのである。昭和11年に更正自治体に指定された自治体の更正出来るまで父が肩代わりをしたのである。その資金として方債、債権、公社債、国債等を使い、登録し、名義は従来と通りとし、安田信託等に信託した。この中に西武鉄道や箱根土地等の社債もふくまれていたのである。ここが父の財力の強さを秘めていた。経済の当時の破綻は並大抵のものではなく、父の財力が当地方を破綻から救ったのである。戦後これらの資産は父の康楽寺のに寄付され、康楽寺の本殿完成まで,公益事業を併せ行う為、父の資産の一部の育英事業の管理人として、私の戸籍上の両親が指定されていた。その資産だけでも億単位の公社債、債権、株式からなる金銭信託である。西武関係の社債や日本発送電の社債の管理人として竹端仁作が当地の代表として指定されていた。勿論私が父の事業後継者に指定されていた事は言う迄もな。父の公益事業とは此れまでも度々述べてきた本殿康楽寺の建設であり、それに付属したアジア、中国との文化的交流である。其れと同時の社会事業として、育英資金の運営については弁谷栄やその妻ハシが管理人となっていたのである。戦後父の資産は三和銀行にシフトした部分がある。それは日本タイプライターの戦後処理に伴う父の資産が三和銀行の信託に移行した。ここに三和銀行を主体とする日本観光の倒産の原因があるのである。平成11年に日本観光は破産したが、その裏にはこれ迄述べてきた仕掛けが連綿とした続いてきたのである。従って各信託会社は信託管理義務違反について、父の財団を復旧すべき連帯責任、義務を有しているのである。信託違反としてその責任が追求される必要が存在するのである。



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