羽花山人日記

徒然なるままに

子供の戦時教育

2024-06-13 20:31:26 | 日記

子供の戦時教育

昨日の朝日新聞13面、オピニオンフォーラムに『戦争プロパガンダと子ども』と題する、学習院大学名誉教授斉藤利彦さんへのインタビュー記事が載っていた。

斉藤さんは、第二次大戦中の日本における学校教育が、いかに子供たちを戦争協力に導いたかを解き明かしている。

わたしはその時代に少年時代を過ごした。そして、1953年生まれの斉藤さんは、その時代を近代教育史の専門家として研究されている。

以前に、戦時中の「疎開」が大学の日本史入試問題で出されたという話を聞いた時、自分が間近で見たことが歴史の教科書の中で扱われていることに一種の感慨を覚えた。

自分が経験した戦時中の教育は、歴史的な課題として研究対象になっているのだ。とすれば、その時代を過ごしたわたしたちは歴史の生き証人ということになる。

このページには、1931年生まれの児童読み物作家山中恒さんの経験談が載っている。まさに生き証人の証言である。この話を読んで、わたし自身の経験も書いてみたくなった。

わたしは、1942年(昭和17年)に国民学校に入学し、4年生の時に終戦を迎えた。

1、2年生の時は男女同クラスで、やさしい女の先生で軍国主義的な的な教育を受けたようには記憶していない。3年生になると男女が別クラスとなり、旧制中学卒業の代用教員の先生が担任になった。大変人情味の厚い熱血先生で、正邪をただす体罰は時々加えられたが、戦時教育的な授業を受けた記憶がない。

つまり、教室で先生の口からは軍国主義的な言辞を聞いた記憶がないのである。にもかかわらず、わたしはれっきとした軍国少年であった。

ではなぜそうなったのか。世の風潮の中で軍国思想は自然と身についていたのではないだろうか。

だから、天皇の「御真影」と教育勅語がしまってある「奉安殿」の前を通るときはお辞儀をし、「天長節」や「紀元節」のような時に白手袋の校長先生が桐の箱から教育勅語を取り出して読むのをかしこまって聞き、皇居の方向に最敬礼するのは当然のこととして受け入れていた。

もちろん教科書の中には戦意高揚を目的とした物語や訓話が書かれていた。しかし、それは当たり前のことであってことさらに取り上げる必要はなかったような気がする。

思想統制、言論統制で軍国思想に塗り込められた社会の中で、真っ新な子供の心は、「皇尊(すめらみこと)をいただく神国日本の聖戦」こそ自分たちの使命であるという考えに満たされていたと思う。

学校教育はそれを整え、組織化する役割を担っていたといえよう。

信じられないようなことが現実に起こっていたのである。それは起こしたから起きたのだ。二度と起こしてはならない。

 

クチナシ

散歩の途中に生垣から匂ってきた。

渡哲也が歌った『くちなしの花』を思わず口ずさんでいた

 

STOP WAR!

コメント (4)
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