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昭和の教師が去っていく

2015年03月23日 | 雑記帳
 若い頃お世話になった方が、先週相次いで逝去なされた。

 M先生とは直接同職することはなかったが、無くなった父親と同期ということで、いつも声をかけていただいた。
 理科が専門で特に地域の自然保護に関しては、著名であった。
 教員を退職されてからも自然関係のボランティアをなさっていた。

 昔務めていた学校の、校門近くにあった巨大な石(岩と呼んだ方がいいか)は、F先生が中心になって鳥海山から運んできたというエピソードを聞いたことがある。
 アウトドア派の先駆けのような先生であったと、懐かしく思い出す。
 私が若い頃買った車で履いていたスパイクタイヤのお古を、親類経由でM先生が履いているということを聞き、そのアクティブさに驚かされたこともある。


 T先生とは、今務めている学校で20年前に2年間、机を並べた。
 苦労人という形容がぴったりする先生で、当時は教頭として本当に職員への気遣いをなされていた。
 私が主任としてぐいぐいタイプの頃だったので、助けられた職員は多いはずだ。

 理不尽なことについては明確に主張なさる方であり、幾度か自分もたしなめられた記憶がある。
 専門である社会科を通じて学んできたことは、まさに地域の歴史と民主主義そのものではなかったか。
 酒はあまり強くなかったようだが、自分が酒席で初めて記憶を失った時に抱えられたのが、あの細身のI先生だったことを、葬儀の席でふと思い出した。


 お二人は80代後半と70代後半であった。
 教師としての全部また大半を「昭和」で過ごした。
 現役世代とは明らかに違う要素があると思う。

 それが何かは、明確に言語化はできないが、時代と対峙してきたというイメージが強く浮かんでくる。
 昭和の熱さ、苦しさ、疾走感のある空気の中で立ち上がってくるような姿だ。
 それは自らを振り返ったときの希薄さと、まさに対照的だ。

 昭和の教師たちがぽつりぽつりと去っていく。

 合掌。

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