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球という形の偉大さ

2007年10月16日 | 教育ノート
 子どもたちのバスケの大会の様子を思い起こして取り上げた字ではあるが、よくよく考えると奥深い。
 私たちの手は、まるで球体をつかむために出来ているようだ。
 球体は、どんな面にあってもその流れのままに動く。
 球は、どの方向からみても同じ姿なのだが、空間の環境によって顔つきが変わってくる。
 …そんな詩のような考えも生まれる。
 みんな地球に生きている。


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 「王」と「求」の組み合わせですが、「王」は「玉」の意味を表しています。 「求」がキュウという発音を表し「中心に向けてひきしめる」という意味もあります。
 もともと求は「はぎとった獣の皮の形」であり、くるくると巻いて丸くできるので「丸」とつながったということです。

 「一球入魂」という言葉がありますが、実は球の「たま」という読み方は「霊(たましい)」と語源が同じであり、球そのものに霊が乗り移るという考えも昔からされてきました。

 様々な道具やモノに心を込めることは世の常です。
 しかしそのなかでも、一つのボールの行方を追うスポーツ競技に多くの人が熱中するわけは、やはり球という形の偉大さなのかもしれません。
(10/16)
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