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苦味を口に覚えて知ること

2019年02月11日 | 雑記帳
 2月10日は「ふきのとうの日」と言われても、豪雪地帯に暮らす者にはぴんとこない。宮城県で2と10の語呂合わせで制定したようだ。本県でも海岸沿いなら今月あたりからそろそろだろうが、内陸山間部は少なくともあとひと月半は待たねばならない。春の訪れを感じる一つの印として、あの苦味が口中に浮かぶ。


 ふと気づいたことがある。最近、孫の食欲が旺盛になってきて何でも口にしたがるが、まだ駄目だろうという食べ物を欲しがるとき、「これは、ニガイニガイ」などと言っている。味覚の「五味」(甘・塩・酸・苦・旨)の中で苦味は独特なものだ。識別する信号としての役割は「毒の存在を知らせる」ことだとされている。


 苦味や酸味は、大人になるまで少しずつ繰り返し体験して学習し、おいしいと位置づけられるようだ。考えれば、ずいぶんと苦いものが好きになっている。Beerは言うに及ばず、ふきのとうやぎんなん、魚の肝に一部の野菜の葉など、それからチョコレートも好んでカカオ分の高い品を選んでいる。かなり学習した(笑)


 言い方を変えれば、「毒」を口に入れても平気になったということか。味覚だけでなく、人間とはそもそもそんなふうに「安心できる・大丈夫なもの」の感覚を身につけ、だんだんと「危険な・きつく感じる」ものへ手を出していく。そのスピードやバランスには様々な差はあるとは言え、大概その道をたどる。


 食べ物はさておき、人格的成長?に関してはずいぶんと消毒が徹底した世の中になってきているようだ。毒や悪の存在を野放しにしておけないのは社会通念だろうが、実は取り締まる方が猛毒だったり巨悪だったりする例も、ちょっと考えれば思い浮かぶ。そんな穿った見方も、苦く苦しい経験をして身につくようだ。


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