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3がわからない人間

2006年08月14日 | 読書
うっかりというか、視野がせまいというか
同じ本を買ってしまうときがある。
単行本が書名を変えて文庫になったときなど、その罠?にひっかかる。

齋藤孝氏の『発想力』(文春文庫)もその一つだ。

確か『発想名人』ってあったよなと思いながらも買ってしまって、
読み出してある箇所になると、ああと気づいたりする。

それでも全部読み通したので、結構この本は良かったんだなと一人納得する。

「3がわからない人間」
齋藤氏にインタビューにきた編集者が口にだした言葉だ。

 「齋藤先生は3という数を好まれていますが、3がわからない人間がキレるんじゃないでょうか。つまり、社会性がないとキレやすいということです。」

 おもしろい発想だと思った。
 二者択一でないところから社会性に結びつけることはありがちとも言えるが、
それを3がわからないと表現できるところは素晴らしい。
 齋藤氏ものって、次のように発想が展開する。

 ひきこもりも3という数を学びきれていないことと関係あるんじゃないでしょうか。

 ひきこもりは世話をする二番目の人間がいて、はじめて成立する現象だということになる。では、第三の人間は必要かというと、これはひきこもりに必要ない。

 ひきこもりは2という数字に留まって、3を拒否した状態なわけです。


 氏も「もちろんこのような単純な論理が通用するというわけではない」と付け加えているが、
かなり原則的な視点がそこにあるように思った。

 問題を抱える子ども、特に社会性の発達に課題がある子に対して
「3」という数を頭に入れて接していくことは、何かしらヒントになるかもしれない。
 あれかこれか、というだけでなく、できるだけもう一つの視点も示すこと…
 この子とあの子だけでなく、ちがう子の存在もつかってみること…

「3」を意識させ、実感させていく…
そんな働きかけを続けていくことが大切だと考えた。 

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