すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

辞典は想像のために読む

2018年08月24日 | 読書
 今や「辞書の神様の生まれ変わり」とも称される飯間さんの名を見つけ、思わず手を出してしまった。「無人島へ一冊だけ持っていく」としたら、たぶん大型辞書が最終候補に残ると思っている自分には面白くないわけがないだろう。国語辞典を「読む」コツが書かれている。「読む」とはいかに想像するか、だ。たぶん。


2018読了81
 『三省堂国語辞典のひみつ』(飯間浩明 新潮文庫)



 いわゆる『三国』の特徴を、「要するに何か、が分かる」ことだと宣言している。大事なことだ。辞典を引くとき、多くの場合にはそれが目的だからだ。同じ出版社の『新明解』と比較して、新明解は「にやり」、三国は「すとん」と表現している。新明解にお世話になっている自分が変化球好きと言われても仕方ないか。


 多くの人にすとんと落ちる表現とは、簡単なものではない。「国語辞典編纂者」の表面に出ない苦労話も載っていて、驚かされる。「語釈」を正確に端的に書くために、時には現物を分解したり、食べてみたり、時には一週間以上も専門分野(プログラミングなど)を勉強したり…。「語で分かる」とは何かを考えさせられた。


 『三国』の特徴は「新しい語に強い」。新語や流行語、また語の新しい使い方の流れが速くなっていることを誰しも感じる今、毎年の改訂がない辞書にとって、その選定は難しい作業だ。このあたりの見極めは興味深い。今年脚光浴びた「半端ない」も、実は90年代に発生し、2004年に定着している経緯も書かれていた。


 「ら抜き言葉」「全然」の使い方などよく指摘されるが、この点など非常に柔軟な対応をしている。「誤用」なのか「俗語」なのかを示すことは、語の歴史や他の語との関わりで判断される場合も大きい。語の「正しさ」とは一つでなく、使う人そのものに付随する気がする。幅広く受け止めるためには、知識が必要だ。


 それを支えるのはやはり辞書だと『三国』を探しに中古書店へ。残念ながらなかったが、『三省堂現代新国語辞典』(飯間氏も編者)が一冊あり960円で購入した。2011年刊定価2700円だった。本当に真新しく使った様子が全く見られず、注文カードまで挟まっている。想像の手伝いに加われなかった無念さを想う。

コメントを投稿