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酷暑に凡庸さと和解する

2023年08月23日 | 雑記帳
 先月末に「令和五年文月真夏日続く」と題し雑文日記を載せた。その書き始めが7/25だったから、凡そひと月となるのか。さすがに厳しい。一週間ほど前に「電力量のお知らせ」をやや怖い気持ちで開いてみた。ところが昨年並みであり、なんと、と思った。これはおそらく冬場の高騰で学んだ節電意識の賜物(笑)か。




 人間、知らないことばかりでなく、知ってはいてもなかなか実行に移せないことが多々ある。例えば「充電」もそうだ。フル充電を続けるとバッテリー劣化が進むことはかなり昔から知識としてあったが、つなぎっぱなしにしておく便利さ(というより怠惰さ)が日常化してしまっている。反省しつつ改善の道を進む。


 気持ちの切り替えというごく普通に言われている心がけも、実はそんなに容易くないと先月不整脈が起きたので痛感した。そんなに楽観的性格ではないと自覚していたが、思い込みすぎるとついだらだらと…。そこで「〇〇のことは考えない」と言葉にしてみることによって断ち切る、そういう習慣づけが有効だった。


 些細なことを続ける、それがいつも心地良かったり、充実感がわいたりするとは限らないだろう。それでも、どこかに何かに反映してくると信じたい。ただ、その成果は他者と比べるものではない。比較が有効なのは、過去の自分とだけなのだ。どんな凡庸にもわずかに価値はある。小田嶋隆は『諦念後』にこう書く。

「老後で大切なのは、単純作業に身を投じることだ。なんとも凡庸な教訓だが、凡庸でない教訓など信じるには値しない。なんとなれば、男がトシを取るということは、自分が積み上げてきた凡庸さと和解することだからだ。」



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