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自然の調律、個の調律

2018年04月29日 | 読書
Volume101
 「津波ピアノは地震と津波という自然の大きな力で、ある意味、破壊された存在です。ピアノ自体もともとは木でできていて、生きていて、自然とともに変化していくものなのに、大きな人工的な力で曲げられて作られたものです。」
 「それを、僕たち人間が『調律が狂ってきた』というのは、人間的な基準で言っているに過ぎない。モノとか自然の方から言えば元のカタチに戻ろうとしている力です。調律が狂うっていうのは」


 東日本大震災の津波で流された一台のピアノをめぐって、坂本龍一が語ったこと。

 ネット記事をじっくり読むことは、そんなに日常的ではないが、この坂本龍一へのインタビューは、思わず引き込まれるように二度も読んでしまった。

 それは坂本ががん闘病中に思ったこと、考えたこと、そしてこれからどう歩もうとしているかが、実に素直に伝わってくる中味だった。

 「音楽ができることは余裕のあること」「過度に期待してもらっても困る」という語りは、諦念めいて聞こえるけれど、音楽家としてたどり着いた紛れもない真実でもあるだろう。

 そういう根底を抱えながらも「新しい音」を探し続ける原動力は、生の渇望と知を喜びとできる根源的感覚を持っているからだと思う。

 人間に大きな害をもたらす自然の脅威を「調律」ととらえられる心は、生半可なことでは生まれない。
 「自然の調律」のなかでは、人間なんて実にちっぽけな存在であり、同時にその個の中にも調律があるのだ、ということを気づかせてくれた。

 病気や怪我、精神的な圧迫、そして身体的な衰えによる変化を感じながら、人は誰しも自分を調律しているのかもしれない。
 しかしいつまでも同じ音を鳴らすことはできない。
 そのことを受け入れながら暮らしていくこと、比喩的に言えばどんな響きを求めていくか。それを意識するのは早い方がいいに決まっている。

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