すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

やはり敵わんなあと思う本

2012年09月23日 | 読書
 新しく買い求めた本がなかったので,休日の朝風呂にどれを持っていこうかと背にする書棚を眺めたとき,目に入った一冊である。

 『村上小の「学校だより」抄』(飯沼宏 明治図書)

 プチ自慢をすれば我が家の書棚は三か所に分かれており,この場所(小さい書斎)にあるのが,新刊や重要度が高いという並びである。
 昭和63年の本がそこにあることは我ながら一つの驚きだが,「学校だより」という分類なので,きっと近年舞い戻ってきた?のだと想像する(自分でやっておいてなんだが)。
 では,ということで読み始め,一時間ほどで読了した。

 著者の話を一回はどこかで聞いたような記憶があるがちょっと思い出せない。ただ,学校づくりという視点では憧れの存在であったことは確かだ。

 そんな二十数年前の,学校だより+PTA会報の文章を見て思うことは,やはり敵わんなあということである。

 師と仰ぐ野口芳宏先生よりももう少し上の,学徒動員を経験している世代である。著者自身は病気で入隊しなかったという経緯を持ちながら,戦時そして終戦を生き抜いたことが,その人生観や教育観を決定的にしていることは確かだろう。

 肩から力を脱き,笑顔を漂わせながら文章を綴っている雰囲気を漂わせながら,そこに垣間見えるのは肚の据わった,どこまでも人を信ずるという気概のある姿だ。
 だからこそ,個人名を平気で?出すし,きれいごとでない処世のあれこれもさらけ出すことができる。

 おそらく,今の時代にこんなふうに書ける人はいないと思う。
 しかしそれは表現や表記の問題だけではない。
 きっと「精神のありよう」というレベルで,けして追いつくことのできないものが流れているということだ。

 学校だよりの最終号に静かに語られた,この一節は単純のようであって,実はかなり深いと思う。

 当たり前のことに考えもなく馴れてしまうと,知らないうちに足りている物をまだ欲しがったり,他と比べて,己を卑下したり,他に媚びたり,ときには嫉妬したりしている自分に気づかずにいる場合もあるものです。

 今年も週1回のペースで学校報を書いている自分だが,どう伝えるかばかりに心が向いて,何を伝えるかを忘れがちになっている。
 そしてもっと肝心なのは,伝えるべきはそれでいいのかと問うてみること…いい本を再読できた。

コメントを投稿