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先生!と呼びかけられたら

2014年02月24日 | 読書
 「2014読了」25冊目 ★★★

 『先生!』(池上彰編  岩波新書)


 岩波新書もこんな感じで出版するんだなあと正直思った。
 お堅いイメージだけでは、書物受難の時代?を生き抜いてはいけない。

 さて、池上さんが編集というところからも想像できるように。執筆された諸氏が、堅苦しくなく「先生」というテーマで思いの丈を述べている。

 こちらに内容が→http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1307/sin_k717.html


 依頼原稿のしばりは、エッセイの中に「先生!」という言葉を必ず使うということだけで、それがまた興味をそそる。

 この「!」という感嘆符をどこで使うか…

 読んでみると、自分の思い出の中の呼びかける場面に使ったり、自分が呼びかけられた場面であったり、あるいは読者としての「先生」に呼びかける文体として使ったりしている。

 それを単なる執筆上の制限に対するクリアとみることが普通ではあるだろう。
 しかし、もしかすればそれは一番言いたいことにつながるのかもしれないという考えも浮かんだ。


 自分から「先生!」と呼びかけた人は、大抵の場合、先生との強いつながりを欲している。

 先生の立場にあって、「先生!」と呼びかけられた人は、その場面に込められた「子ども」の思いをしっかり受け止めようとしている。

 そして、読者である先生に呼びかけようとしている人は、一緒に歩もうと連帯の気を送ってくれる。


 いや、もちろんこの分類が新書全編に渡っているわけではないが、「先生」という呼称はそういう背景を持っているのではないか。
 「!」マークは、それをきっと強調している。

 たとえば、対照的な最終行を書いたお二人がいる。


 先生!頑張って!(武富健治)

 先生!逃げて。 (石井志昂)


 内容に沿っての最終行であるから、これだけを取り出して論じることはできないが、いずれ、かくも多様な人たちに囲まれながら、学校の仕事は綿々と続いていくわけである。

 執筆陣はバラエティに富んだ人選だと思う。
 そんなに頑張らず、しかも逃げずに仕事を続けていきたい「先生」にとって、自分の歩幅や視野を広げるために参考にしたい著である。

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