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「とりつくしま」をさがす

2016年09月17日 | 読書
 『とりつくしま』(東 直子  ちくま文庫)

 死後の世界には「とりつくしま係」がいて、死者の「モノになって、もう一度、この世を体験することができる」お世話をする。生きているモノは駄目だが、死者たちはそれぞれ「思い」のある人に近づこうと、身の周りにあるモノに入り込んで観察を始め、思いを深めていく…発想が秀逸で、なかなかよく出来た話だ。



 読者の多くは、もし自分が死んだら一体誰の傍の何を選ぶかなと思い始めるだろう。11篇で構成される話で、最初は死んだ母親が野球部の投手をしている息子の「ロージン」になる。次は、新婚間もない妻が夫の愛用しているマグカップになる。時には、取り付いたモノとの別れも描かれるが、その筋は妙に優しい。


 死者としての無念さ、やるせなさが、生きている人物たちを見つめていくことで少しずつ解消されていく設定と言っていいのかもしれない。無私になり愛する者を懸命に応援することによって浄化されるのだろうか。結局「生き方」を問いかけているんだなと納得する。それにしても気になるのが題名にある「しま」。


 もちろん「とりつくしま」の意味はわかるが、「しま」って何?どんな漢字を書くのか、と思ってしまった。辞典をみると、なんだかあっけなく「島」なのだ。「島」の意味の中に「④頼りにするものごと。よすが」(広辞苑)がある。そもそもの「洋上に浮かぶ島」からの発想として当然かもしれない。漢和ではどうか。


 島という字の部首は「山」である。つまり異体字ではある「嶋」がもともとの意味を表す。「渡り鳥が休む海の小さい山」(大漢和)ということだ。まさに「取り付く島」。連想すると、この小説の題名は実に感慨深い。亡くなった人たちはいったんその「しま」で羽を休めて旅立っていく。ああ、あの人の島は何だったか。

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