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かくれたカリキュラムならそこにもある

2014年08月22日 | 読書
 「2014読了」84冊目 ★★★★

 『「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド』(横藤雅人・武藤久慶  明治図書)

 校内研修にお招きする佐藤正寿先生が,講話の流れを事前に知らせてくださった時,「ヒドゥン・カリキュラム」を最初に取り上げる予定を示されていた。
 以前から興味は持っていたが,未読だったので急いで注文し,研修会前に読了することができた。
 
 引用されている宇佐美寛先生の言によれば,「かくれたカリキュラム」とは「教師が意図も意識もせずに教えつづけている教育内容」ということができる。
 この点に関わって,自分が発信したり課題として持ち続けてきたりしたことがある。

 一つは,自覚的な授業行為である。
 授業における教師の言動は,どの程度意図的意識的であったか,を問われるべきだという考えである。
 これはおそらくその昔,ビデオを使った一人分析やストップモーションなどを経験したことが大きいだろう。

 もう一つは,学級担任を外れてから様々な学級に出向きその違いを見るにつけ,感じてきたことである。
 担任の性向や言動は子どもたちにどのような影響を及ぼしているのか,という点である。


 この著書は「学級経営」「授業場面」という二つの面から,「かくれたカリキュラム」を焙りだしている。
 自分が考え続けてきたことも重なり,まさに納得できる数々のことであった。

 都市部での新採用者の増加があり,こうした面のニーズが高まってきているのかもしれない。
 また同時に,通常の「かくれない」「明らかになっている」カリキュラムだけでは,教育はうまく機能しない現場の切実さが高まってきているのかもしれない。

 この本には焙りだされた「カリキュラム」への改善・強化策が明示してあり,これらを具体的に実施していくならば,かなりの効用が期待できるように思う。
 ただし,「かくれたもの」は大抵根深いように,継続的にほり続けるようなイメージで進むものである。いわば長いスパンをかける覚悟が必要なのだと思う。

 「シャーペン禁止の指導」に見る多面性,拡張性に裏打ちされた計画的な指導。
 「教育の目的から考える『かくれたカリキュラム』」の項にある筋を通す骨太な実践。
 これらが一朝一夕で可能なものでないことは,現場を知っている者なら誰しもわかることだろう。


 行政官である武藤氏が最終章をうけ持つ構成も大きな特徴である。
 学校教育を束ねていく立場の方からの発言は,また違う重みがある。
 「教員という教育環境」に対する鋭い指摘であると感じた。
 その意味では研修面での目配せがより広く,深くなることは当然だろう。

 しかし同時にそれは,行政官自身,またはそれにつながる大きな組織や社会の「かくれたカリキュラム」の存在も意識化されなければいけない。

 教員の資質向上策なら数々ある。今目の前で出来ることをしつつ,おそらく子どもたちの教育環境整備ならもっと優先順位の高いことがあり,それをしっかりと頑張ってほしいのですよ,「激しい自己嫌悪」はその後で…と皮肉な口調になってしまいました(これはマイナスのヒドゥン・カリキュラムに近づきますね)。

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