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レールにのっかって小説読み

2013年08月31日 | 読書
 上下巻ともに400ページ近い長編。上巻は先週土曜に一気に読み、下巻は日曜からちょぼちょぼ読み進めて、金曜朝に読了した。

 『ユーラシアの双子(上・下)』(大崎善生  講談社文庫)

 後半になって意識したのは、かつて読んだノンフィクション『ドナウよ、静かに流れよ』だった。この本は印象深い。読書記録をあたってみたら感想は書き留めていないが、なんと★5つの評価をしていた。

 ヨーロッパ、19才、自殺といった二冊に共通するキーワードがあり、やはりこの作家にとって、旅、死、追う…といったテーマはかかせないのかもしれないと勝手に思った。

 この作品が文芸的にどうかは見当もつかない。ストーリー自体はそんなに奇抜なものではないが、どうして800ページ近い物語につき合っていけたかというと、やはり日本から船、列車でシベリアを抜け、東欧からリスボンへ到るまでの旅の描写に惹きつけられたような気がする。

 そして、思う。
 ごくありきたりのこと。
 そしてこの齢ではかなりどうしようもないかもしれないこと。

 知識によって、旅の楽しさが決まる

 ヨーロッパへの淡い憧れはあるが、いかに自分がその歴史、芸術に関して知らないかを思い知らされる。一つの湖、一つの建造物をとっても、ああこんなふうに見るんだとか、その歴史を知っていればずいぶんと印象も違うのだろうなと、いくつもいくつもそういう記述に触れ、少し悔しい思いをした。

 それはまた作者の取材力の賜物であるはずで、大崎がエッセイで見せる単純な「酔っぱらいの駄洒落おやじ」ではないことは明らかだ。
 と言いながら、50歳を過ぎた主人公の飲むこと飲むこと、そして旅の相棒も交えて、地名など使ったオヤジギャグの連発も楽しい風景だ。

 こう書くと、のんびりユーラシアの旅の印象だが、実は陰を背負っている者同士の追いかけっこ的な筋を通して、救済や再生に結びつく内容である。


 解説はあの酒井順子だ。
 最後の方にこう書いていることが印象深い。

 この物語は、「そこにレールが敷かれている」というメッセージを投げかけているように思います。

 シベリア鉄道等長い列車の旅に多くのページが割かれていることによる発想だろうが、なかなかユニークだ。

 レールという言葉に含まれる既定的な概念は、マイナスイメージが強いように思う。
 しかしそれはまた行き先のある安心感であることを忘れてはいけない。

 運ばれている自分、意志的に動く自分、彷徨う自分、とどまる自分…存在はどこでも見つけられる。

 ただ行き先だけははっきりさせたいものだなあ、自分。

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