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教権維持のため

2005年05月16日 | 読書
私は、新卒として採用された時、セビロを持っていなかった。まだ、日本中が貧しかった頃で、私自身も、セビロを購入する金が無かった。学生服で出勤したら、校長に呼ばれた。「学びたい意欲を抱いて登校して来た子供に対し、不遜である」との叱責であった。そのうえで、Yシャツ二枚とネクタイをくださり「俸給は、教権維持のためにある」と説かれた。
目賀田八郎「学校マネジメント 2005.6」(明治図書)


時代背景はあるにしろ
気高い心を感じる一言である。
今、教権維持のために何ができるか
何をすべきかは、それぞれに問わなければならない。
外的な要因にばかり縛られてはいけない。

2 コメント

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教権維持 (ふぉ)
2005-05-16 06:35:05
そういう言葉をはじめて知りました。ちょっと怖いような。(ちなみに最初にかな漢字変換したら「強権」と出ました。^^;)

確かに時代は変わったと思います。昔は恩給も良く、聖職と見られていたこともあったようですが、今は普通のサラリーマンと同じような気がします。それは決して悪いことではなくて、個人的にはそうであるべきだと思うのですが。。
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Unknown (spring)
2005-05-17 05:20:51
ふぉ様コメントありがとうございました。

「教権」という言葉は私も「えっ」と思ったので、ここに書きつけました。言葉の響きとは裏腹に「責任」のイメージを強く感じたのでした。

サラリーマン論?については、言葉の定義をどうするかで論点も変わってくると思います。私は基本的に職業に貴賎はないと思っていますが、社会に対する貢献度には一定の差があるという認識です。
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