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縮小、撤退の工夫こそ

2019年08月24日 | 読書
 エスカレートする韓国絡みの報道をどう受けとめるか。双方ともにわかり合いたい文化が根強いからかもしれない。特に日本人はそんな道徳の中で育ち、解決を見出したくなる。しかし、そうでなくとも「共生」はできる。自論に固執し優先順位から目を逸らすリーダーは困る。政治家の私物化に振りまわされるな。


2019読了81
 『世界「最終」戦争論  近代の終焉を超えて』
  (内田樹・姜尚中 集英社新書)



 物騒なタイトルについての結論はこうだ。「『戦争を根絶するための最終戦争』などというものは、この世に人間が生きている限りあり得ない」。従って、戦争を抑止する議論を進めるための認識として、内田は、戦争廃絶論ではなく「『いかに死者の数を減らすか工夫することはできる』という『程度の問題』にシフトすべきではないか」と語る。


 二人の対談では、現在の状況は、直接戦闘状態にはないとしても、「疑似戦時体制」「準戦時体制」であると共通認識が示される。読者はそれを全否定できないだろう。誰しも平和に見える我が国にあってもテロや殺戮に遭遇するかもしれないという不安の芽はあるはずだから。それがまだ大きくならない訳も知っている。


 「金より命が大事」という常識が希薄に感じるのは、あの大国を牛耳る軍需産業が根元にあるからだ。その理由の連鎖について考えさせられる。「兵器は市場が絶対に飽和しない夢の商品」という製造業者の経済合理性から導き出される怖い結論は、神話が終わってもなお「経済成長」を連呼する者の顔とも重なる。


 姜は「このグローバル化の中で、どう縮小、撤退できるか、それが本来の人間の生活を取り戻すカギ」という。この主張も多様に展開され、動きの一部になっているはずだ。相変わらず、○○の誘致や○○の整備に頼っている地方の現状を苦々しく感じるが、そこに創生的な要素を組み入れる発想が必要かもしれない。


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