すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

チコちゃん、それは甘いぜ

2018年10月30日 | 教育ノート
 金曜日の『チコちゃんに叱られる!』で、「どうして校長先生の話は長いのか」ということが、一つのテーマとして取り上げられていた。10年も務めさせていただいた役職。今は退いたが、どんな答えを導き出すのか少し興味がわいて、観てみた。うーん、なんだかがっかりした。


 端的にいうと「ネタ本があるから」と「それに自分なりの何か付け加えるから」の二つ。現職(高校が多い)や編集者、それに尾木ママなども出てきて、もっともらしく語っていた。しかし一般視聴者でも少し考えたら、少なくとも前者が本当の理由ではないことはわかると思う。



 後者の方はやや接近しているだろうか。要するに、自分の知識や経験を表現したいという教育欲が強い、いやそれ以上に対象である児童生徒に対しての相手意識が弱いと言うべきか。もちろん小・中学校であれば最近の先生方はそれなりにコンパクトさを意識しているはずである。


 自分も取り上げられた「ネタ本」「ネタ雑誌」に原稿を書いた経験もあり、そこで意識する一つに簡潔さ、明解さがあるわけで、そう考えるとネタ本利用は薦めたい。ただそれをどんなふうに溶かして目の前の子どもたちに語るか。それを考える醍醐味が教職の魅力の一つでもあった。


 長く話したがるのは教師の性のように言われ続けたなあ。三十代初め、集会でのあまりに長い校長の話に業が煮えた自分は、毎週「時間を測ります」と宣言して脅迫(笑)したことがある。だから「話の短さ」だけは自信を持ってやり切ったと言える。まあ単に中身がなかったからか。

コメントを投稿