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「真逆」の正体

2009年09月19日 | 雑記帳
 ある作家が週刊誌の連載で、「『真逆』なんて日本語はない!」と怒り気味に書いていた。

 「真逆」を聞いたことはあるというのが私。
 食卓で話題にしたら娘はよく聞くといい、そういうのに疎い連れ合いは初耳という。
 ネット検索では、このように。

 私が興味あるのは、なぜこのような言葉が出来てきたか、という点である。
 数年前にある人と頻繁にあう機会があって、その人が何度もする言葉が妙に気になったことがあった。

 「逆に…」「逆に言えば…」という言い回しである。

 私が「ここは、~~したいと思うんですが」と言うと
 「逆に、○○という方法もあるんじゃないですかね。」と彼は言う。

 私が「△△するっていうのはだめかなあ」と聞くと
 「逆に言えば、□□□でも可能ということですよね」と彼は答える。

 会話は成立するし、違和感なく考えはわかるのだが、ある時「それは全然『逆』じゃない」と気がついた。
 例えば「ちょっと違う例ですが」とか「視点を変えれば」とか、そういう趣旨の発言なのである。それを「逆に」という言い回しで言葉をつないでいるのである。

 これは「その意見には反対なのだが、それを少しぼかすために、同じ考えだけども、位置を変えてみたらこうなったよという言い方」のような雰囲気かなと結論づけた。

 「真逆」は、その派生で出来たものではないだろうか。
 「正反対」という強い響きよりも、「まるっきりさかさまになっているじゃん、えへへ」のような軽いニュアンスを漂わせる言葉だ。

 真逆は見た目?は強く感じるが、実は自分の意思の位置取りを微妙にぼかす弱い気持ちから生まれているように思う。

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