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お天気を願う日が過ぎて

2019年09月01日 | 雑記帳
 仕事絡みはあまりなくなったし、盆踊りは3日間だし…最近、一年のうちで一番お天気を願うのは、大曲の花火の日となった。少し寂しい話のようにも思えるが、ここ数年欠かさず足を運んでいるのは、やはり「本物」だと目を見張るからだ。今夏も「灰かぶり」の席で堪能できた。暦通りに夏の終わりを感じた夜だ。


 昨夜の創造花火の部で、久しぶりに長渕剛の歌が使われた。『ひとつ』…震災の年に作られた曲だ。宮城の若松煙火が「共に生きる」と題し揚げた花火だ。「悲しみはどこからやってきて、悲しみはどこへ行くんだろう。いくら考えてもわからないから 僕は悲しみを抱きしめようと決めた」…心しながら、秋を迎えよう。


 五月から夏日になったりするので、月で季節を区切るのはふさわしくなくなった。しかし夏と呼べるのはやはり八月までだ。この三ヶ月、一度体調を崩しそうになった程度で、まずは順調にこなしてきた。時に非常勤の仕事かと思えるほどの忙しさになるが、結局のところ何か思いついたりするからで、自業自得だ。


 いや自業自得では、何か悪事の報いをうけているようだ。では因果応報か。それではもっと大袈裟か。そもそも忙しかったことの捉え方が問題であり、その行為が何かに貢献できていれば、善事と言ってもいい。そういう意味の四字熟語を探してみると「福因福果」「善因善果」があった。そう書けるほどでもないけど。


 しかし、善き事を心がける、しかも淡々とすることが大切だなと齢を重ねるたびに感じる。連日騒がしい日韓問題も、どうにも口汚く罵る輩が双方に居て、マスコミがそれを煽っている。その渦の中に巻き込まれてはいけない。経済で築いた友好関係であっても、その過程でいくらか理解し、善因善果もあったはずだ。


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