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夏休み読書メモその4

2010年08月19日 | 読書
 行きつけの書店で平積みされていたのが『雪国昭和少年記』(小坂太郎著 萌芽社) 。
 自分の口調で言うならば「タローセンセ」の本である。
 今まで書いたエッセイ等を10篇集約している。読んだことがないものが多かったので買い求めた。

 70年代後半に発刊された『村の子たちの詩』(小坂太郎著 たいまつ社)は私にとっては大事な一冊である。此処で教師をやっていこうと決めた時に出会った本だった。
 それには戦後務めた学校での記録があったのだが、今回収録されているのはそれより前、先生自身が小学生の頃のエピソードや、戦時、終戦直後の様子が中心となって取り上げられている。「創作」と記した文章もあるが、実話が下地になっているのは間違いないようだ。

 自分の近所にいる人が、身近に感じていた人が、こんな暮らしをしてきたのだ、ということを想像したのは久しぶりな気がする。
 みんな昔話をしなくなった。老いて語る機会も気力もなくなっているのかもしれない。
 もっとも、こちらから積極的にそういう話を収集しようという気持ちが強いかと言えばそうでもないわけだが。
 その意味では「本」という形で、いくらかの時間その時代に浸れることは実に楽しいことではないか。読書バンザイである。

 さて、内容として興味を覚えたのは、終戦直後の学校の様子が書かれた部分だった。教科書的な歴史知識として、進駐軍や墨塗りのことなどは知っていたが、さてこの町ではどうだったんだろうかと想像してみると、どうも具体的な姿が思い浮かばない。しかし、このような記述に接すると本当によく見えてくる。
 
 私の住む橋場町内でも、誰かがジープに乗って進駐軍が来るなどと噂を持ちこむと、各家々の主婦たちは弁当を持って野外運動場のある原狐山方面へ避難した。
 地味で黒っぽく汚れた衣服を覆い、身を隠す女たちの一団のなかには、婆様も混じっていた。
 
 「鬼畜米兵」という言葉があったが、その印象の強度を物語っていると思う。進駐軍は結局学校に一回しか来なかったらしい。その時には若い教員たちと体育館でバスケットボールに興じたとあるのも、当時の田舎らしさを伝えていて面白い。

 もう一つ、「餌付けする母親たち」と小見出しをつけられた箇所がある。
 実に奇抜な表現であるが、確かに、物資がない時代に「ママケー(ご飯食べなさい)」と叫ばれ、猛然とダッシュして帰る子ども。そしてその時間帯になったら周辺に居ただろう状態は、餌付けそのものかもしれない。

 餌付けをした母親は、乏しい食物を与えながらしっかり勉強してきちんと大きくなれと口にしていた。餌付けされる側もそれが「幸せ」への道だと何も信じて疑わなかった。
 これは昭和30年代に育った自分にとっても原風景の一つなのかもしれない。
 そしていつの間にか…親による餌付けができなくなり、違う形で餌付けを展開している企業や集団がいる…そんなふうにも解釈できそうだ。

 自分がこうした類の本を読むのは、単純に言えば、そこに見知っている人の名を発見し、鮮やかに情景が展開するのが楽しいと思うからだろう。
 しかし同時に、時代と地域の位置づけを確かめたい思いもある。

 タローセンセは詩人であり、土着の教師であった。
 もはや自分も土着と形容していい時間が流れたが、観察はさっぱりであり、表現も空回りしている。

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