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一断面を見ただけでもつながる

2007年09月25日 | 教育ノート
 野口先生の授業を、殴り書きのメモを見ながら思い起こしてみると、改めていろいろなことを考えさせられる。
 この後整理するセミナーとしてのまとめも限定された紙幅なので、その他の機会をとらえながら紹介していきたいと思い、ある一断面を書いてみた。


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 縷述「つながる授業」25

 コスモス教育セミナーの感想集約とまとめは、来週には昨年と同様な形で配布できるように準備したいと思っています。その前に野口先生の授業の一場面を取り上げて、ちょっと考えたことを書いてみます。

 様々な見どころ?があったわけですが、私が改めてその素晴らしさを感じたのは授業前半の「擬態語」を取り扱ったときでした。

 野口先生は「しんしん」という言葉が様子を表すことを押さえてから、「擬」という言葉を板書しました。
 読める子がいないと分かると、「手偏」を隠して「疑」にしました。「ギ」という読み方が出ると「同じ読み方なんだよ」とまとめ、それから「擬態語」を登場させました。
 次に「態」を様子のことと説明し、「音」の場合は「擬音語」ということを並べて板書したのです。
 さらに、擬態語は平仮名、擬音語は片仮名で書くことを教え、文中から探す活動を指示しました。

 この場面の一連の指導は平凡に見えますが、まさに「つながる授業」を象徴しているように思われました。言い方を変えてみると、こうなるのではないでしょうか。

 既習知識から新しい知識へ(疑→擬・同音) 
 一つの知識から関連した知識へ(擬態語→擬音語)
 関連知識の分類の理解から定着へ(表記の違い→文中から言葉を探す作業)


 私たちもふだんの授業の中でできている時もあるでしょう。しかしこうした点に意識的であればあるほど、機会は増えるはずです。それは子どもたちの学びがつながる機会が増えることでもあります。
 また、この後他校での授業参観なども予定されていますが、つながるという観点で指導案や授業行為を見つめれば、気づくことも多いはずです。

 すぐれた授業とは、全体像だけでなく、一断面を見たときでもつながっている様相を呈しているものではないでしょうか。
(9/25)
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