すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その程度を見つける、続ける

2011年04月25日 | 雑記帳
 道徳の副読本に上大岡トメのイラストが載っていたことを書いたら、ちょうどNHK教育の「グラン・ジュデ」という番組で、その上大岡トメが取り上げられていたので、ちょっと観てみた。

 http://www.nhk.or.jp/kurashi/grand/backnumber/110421.html

 何か特定のイメージを持ってみていたわけではなかったが、見た目はずいぶんとスマートな人だった。そのわりに?神経質な面もあるようで、自らを「明るいネクラ」と称していることがあり、それがまた一つ、表現の原動力になっている気がした。

 放送中の何気ない一言だったが、ちょっと心に留まった表現があった。
 たしかこんなフレーズだった。

 自分を嫌いになるときがあって…自分を嫌いになったら、24時間その自分とつきあっていかなくちゃいけない

 と、その時、「自分を嫌いになる自分」っていったいなんだ、と思った。
 自分とは、嫌いの対象となる自分か、嫌いと評価する自分なのか。それは同一なのか…メタ認知なんていう言葉もあるのだろうけど、「その自分とつきあう」というフレーズは妙に実感がこもっているなあと感じた。

 そういう見方をすれば、上大岡は「評価する自分」が「嫌いの対象となる自分」を変えようとする表現をしていることがわかる。
 その方法論が、実に小刻みで、身体的感覚を重視しているという所がうけたのだと思う。

 放送では「新しい自分」という表現もあったかもしれないが、実はそんなものはどこにもなくて、小さな変化を与えることで、自分とつきあっている自分をちょっと好きになっていく…その程度なのだ。

 しかし「その程度」が続いたとき、案外それは大きく心身を鍛えたりしていて、跳ぶ力になったりするのかな、と感じる。

 キッパリ言おう。
 「その程度」を見つける力、続ける力…これが大切である。

コメントを投稿