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背景なき背景という場所

2020年03月22日 | 雑記帳
 今回の「無観客」の影響は経済的な部分だけでなく、スポーツの観方も少し変えてしまったようだ。野球もバスケもそうした試合が行われていたが、大相撲ほど「物足りなさ」を感じたものはなかった。やはりプロスポーツ中継において、我々が目にするのは競技だけでなく「興行」全体なんだなあと改めて考える。


 国技館ほどではないが、大阪体育館であってもテレビ中継には、いわゆる「砂被り」席には常連さんも多く、「また来てる(いいなあ)」と思うことが習慣になっていた。それ以上に、面白い取組や熱戦に沸く場内の様子、つまり客の動作、表情、声などが、力士の勝負にとってかけがえのない「背景」であったと思う。


 さて千秋楽を迎え、本当に久しぶりの横綱相星決戦といういわば番付通りの形となった。休場者もいるにはいたが少なく、理由の一つに感染防止対策による協会全体の緊張感、摂生にあったことは否めないだろう。皮肉な話とも言える。だから普通の状態になれば「波乱」がある。そしてそれが「見物(みもの)」になる。


 無観客にも長所があると盛んにアピールされたのは「音が響く」ことだった。それだけでも特徴になった。それより力士本人の精神面への影響を考えると、プレッシャーに弱い者を後押ししたのではないか。ただ、人前に全身を曝してぶつかり合う競技者は、多数の視線や歓声に奮起する気概は必須と考えるのだが。


 観客という背景はなかったが、無観客という背景を味方に出来たかどうかが一つのポイントだった。さて、ここ数年見続けてきて若手の台頭が感じられるようになり、見応えも増してきた。見栄えはしない今場所ではあったが、学校が休みなので少しは子どもたちも見たかな。ファンが増えればいいなと素直に思う。


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