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「またナスがあ」という未熟

2018年07月18日 | 雑記帳
 今その場にいたら驚くほどの食卓だったはず。それほど「ナス」だらけだと思い出せる。味噌汁、漬物、煮物、素揚げ、天ぷら…そしてそれが何日も続く。子どもにはしょっぱいナス漬を小さく刻み、コップの中の水を吸わせる。「またナスがあ」と言われても、日々は続いていた。


 いつの頃からかそんな毎日はなくなった。別にさみしいとは思わなかったが、年齢が上がるとともにナスの美味しさに気づくようになったのも正直なところだ。昨夜、隣家よりいただいた漬物はうまかったなあ。揚げ物は既に食していたが、油を吸わないのが本来の味だと気付く。


 一見平凡に見える野菜だが、実はかなり「優等生」的な存在である。まず「一富士二鷹三なすび」という諺が凄い。それだけ縁起がいいのかと改めて思う。それは「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄(もしくは仇)はない」にあるように、咲けば必ず実がなるという特性からだろう。


 「」という漢字も良いイメージだ。「なす」という読み方の他に「はちす」という「蓮(はす)のくき」を表す。「くさかんむり」+「加(勢いを助ける)」つまり、植物が伸び花になり実を結ぶための動きを表しているようだ。古くから育てられてきたこの野菜に歴史の重みさえ感じる。


 どうだろう。「ナスのような人間になれ」は激励のための言葉にならないか。成長をすべて実にするため頑張り、どんな調理にも対応し、様々な姿で人々を楽しませる…変化ある社会に対応できる理想形だろう。あっ昔「ナスビ」という芸人もいましたが…そのイメージではありません。

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