すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その一言が物語ってしまう

2016年09月26日 | 雑記帳
 「一事が万事」という慣用句の信頼度はけっこう高いのではないか。と言いつつも「たまたまそうだった」とか「人間だからミスもある」と、どこかで許容しそうになる。しかしそういう甘さは、結局自分にはね帰ってくるのだ。「人の振り見て我が振り直せ」という、スーパー格言にそって書いてみようではないか。



 昨日、たべびとブログにアップしたレストラン。料理以外で気になったことがあり、十分な満足をして店を出る形にならなかった。軽いことから挙げてみる。豪華な前菜には柔らかめの料理、スープ系もあった。しかしそこにスプーンがつかなかった。言えば済む問題だったが、そこに最初の小さな引っかかりがあった。


 二つ目、水のお代わりをした。ハーブの葉が入れられて、冷やされた細長いガラス製のピッチャーが出てきた。いいねえ、と一瞬思う。ところが、蓋になるステンレスの部分が綺麗とはいえない状態だった。そして極めつけ。階下のルームに通されたのだが、上からある食器が落ちてガチャ―ンという破裂音が響いた。


 どうやら手が滑ったらしい。その後、上から聞こえたシェフらしい人の一言。「あっ、やってしまったか」…直後に発せられたのがそれかと、唖然としてしまった。もちろん、場所は少し離れていて私たちに実害があったわけではない。しかし、背後から聞こえてきた突然の音に、階下の客は確かにびくっとしていたのだ。


 まず言うべき言葉は「失礼しました。皆さま大丈夫でしょうか」ではなかったか。処理を終えた後にテーブルに来たウエイターが「すみませんでした」と軽く言ったのは覚えているが、順番が全く違う。おそらくそこには、この店空間が誰のためにあるかという認識がはっきり示されている。それは前の二つも同様だ。


 トラブルの声かけも、蓋を磨くことも、料理に添える道具も、客の心を一番に優先する気持ちがあるなら明らかに変わってきたのではないか。そう言えば、別室の家族連れの中にご老人がいた。帰りの階段を上るのに少し難儀していた。事前の席準備や、案内のフォローという面で配慮できなかったかと思ってしまう。


 店には個性がある。そしてまた客も個性をもつ。従って100%の合致は叶わないとしても、店から客へというサービスの方向性だけは一貫しているはず。何で客を満足させるかという特化はあろうが、偏りが大きいと魅力を失う可能性は高い。結局のところ店の良し悪しとは、客の心を想像する幅と深さによって決まる。

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