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想像は着地させるために

2016年01月21日 | 雑記帳
 今読んでいる新書に「想像力をたくましくして」という表現があった。取りたてて珍しいわけではないが、久しぶりに目にしたように感じた。また、自分がそんな言い回しをしていないことにも気づかされた。「想像力」という言葉は良く使っているのに、…が肝心とか、…を大事にとか、そうした表現で留まっている。


 「たくましい」とは「体格ががっしりしていて、いかにも強そうなさま」が第一義である。加えて「勢いが盛んであるさま。活力にみちあふれている」という意味もある。「想像力を…」と言った場合は、どちらを指すか。二つの意味にとっても良かろう。力の「結果」的なこと、そして「発揮」的なこと。両方通じる。


 従って「想像力」と「たくましい」という組み合わせは、実に的を射ていると思う。大きくする、広い、深いといった量的なことだけでなく、質的なイメージが付加できるからだ。そしてその質とはつまり、想像力を働かせたうえで予想される様々な対応、結果等についての受け止め方も含んでいるということになる。


 もう一つ、同じ本の中に「想像の翼を広げて」という表現もあった。これは朝ドラ『花子とアン』を思い出させるが、そもそもは『赤毛のアン』なのかな。この修辞も自分は使った記憶がない。ちょっと格好良すぎる気がするからか。「翼」もしくは「羽」からは、飛翔、浮揚のイメージがあり、空想・妄想的である。


 「想像の翼」という言葉を考えたら、人によってその大きさに違いがあるのか、何度も広げれば大きくなるのか、いやそれとも人によって骨格は決まっているのか、などと余計な想像に入る。もっと言うと一体どんな形状かと妄想が膨らむ。肝心なのは飛翔であり、そこから着地させることなのに…。着地はたくましさだ。

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