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固定された者の言葉を疑う

2009年07月22日 | 読書
 裁判モノのドラマやドキュメンタリーが目立っていると感じているのは私ばかりではないだろう。
 もちろん、例の裁判員制度開始がきっかけになっているはずだ。興味がないわけでもないが、真っ向から勉強していくつもりもないし、とそんな時に見つけた一冊の文庫。

 『裁判官に気をつけろ!』(日垣隆著 文春文庫)

 著者言うところの「ヘタレな判例」「バカタレな判決」に笑えたり、ある意味感心したり…また、それ以上に裁判所というのは怖いところだなという印象も残ってしまう。
 そうした場に立ったときに、はたして自分がどんな行動ができるのか、と想像してみたりもするが、実際のところ近づきたくないという意識がその想像を続けることを制止してしまう。こういうことじゃいけないんだろうがな。

 それはともかく著者の本は以前にも読んだが、なかなか含蓄ある言葉が随所にちりばめられている。今回は例えばこうだ。

 教養というのは、物語力と仮説力のことです。
 
 この言葉には単なる記憶力との相違を見事に表している。
 物語る力だとすれば、そこには事実や体験を読み取り、想像し、表す力が必要であり、仮説を立てるためには多方面に推し量っていく計算や観察なども求められる。
 そうした著者自身のセンスであまり表に取り上げられない判決文を読めば、その奇妙さが立ち上がってきて、読者にもよく伝わってくるわけだ。

 この本で槍玉に挙げられているのは裁判官ではあるが、これはもしかしたら、固定した空間で、固定した立場で、固定した時間を過ごす仕事に就いている者なら、誰しも自分たちの言葉を疑ってみる必要を説いているのかもしれない、というふうに思えてきた。

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