すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

空はパリにも広がっている

2024年08月14日 | 雑記帳
 三年前の東京五輪の事は読書と関連付けて書いて残してあった。今回も熱心に見たわけではないが、備忘の一つとしてメモしておきたい。まずは、従来とは違う開会式の設定は面白かった。ただ入場行進?はダラダラ感が強く、何で締まったかというといわゆるパフォーマンス部門だと感じた。「芸術の都」だからね。


 新聞等でも取り上げられていたが、選手の活躍は大会前予想と違っていた部分が多数あった。当事者にすれば強化の時点から可能性の範囲を掴んでいたはずで、「勝負の綾」という面はあるにしろ、結果だけが今の力を示している。ただ、メダル数が国力を示しているなんていう乱暴な見解は、奢りに感じてしまう。





 いわゆるアーバンスポーツが前回に続いて注目された。カントリー(笑)に住む高齢世代にはまさしく縁遠い。映像やメディアを通してなんとなく普及しているイメージが少しだけ腹立たしく思えたりするのは、明らかにひがみだな。ただ、個々の競技がどんな「身体」を理想とするのか考える材料としては興味深い。


 男子マラソン放送を見られなかったが、女子は珍しくきちんと最後まで県出身者を応援した。増田さんの解説がいつも以上に冴え(笑)、鈴木選手が中学生の時に書いた作文の題名「走り抜けた夏」を何度か語ったことも微笑ましい。それにしても沿道の応援?伴走?の様子がいかにも自由で、羨ましく妬ましく思えた。


 自転車でスマホ撮影しながら追いかける若者もいた。日本開催ならまずあり得ない。そういえば期間中の新聞記事でパリの人々の様子を伝えるコラムがあり、「信号を守らない」ことへの驚きと考察があった。国民性の違いに関する見解は諸説あるが、根本は何を信じて生きていくか。多様性の時代に軽視されない点だ。