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桜と絵本と豆乳と

芸能人の姿は写し鏡

2017年12月05日 | 読書
 芸能人はある意味で商品に間違いない。従って、どう宣伝されて、店頭でどんなディスプレイされるか、陳列の位置は…などと喩えてみることが出来る。もちろん個人の嗜好はあるにせよ、時代や世相(人が操作、加担する)に導かれるように姿を現わしたり消えたり、ずっと居座ったり……巨大スーパーと似ている。



2017読了120
 『芸能人寛容論~テレビの中のわだかまり』(武田砂鉄  青弓社)


 cakesというサイトの「ワダアキ考」を登録し愛読している。この本はその原稿が大半なので目を通しているものが多かった。ただ、改めて読み通していると、これは「芸能人」を対象として書いてはいるが、そのタレント等自体ではなく、それを取り巻く社会や視聴者である私たちについて論じているのだなあと思えてくる。


 この著の第一項は「やっぱりEXILEと向き合えないアナタへ」。そして最終項は「星野源が嫌われない理由を探しに」となっている。TVそのものに関心のない人や、見ていても「わだかまり」を感じない人には、わかりづらい話かもしれない。ただこの二つに象徴されるように、間違いなく世相とリンクはしている。


 ある年齢層以上になるが「ナンシー関」のコラムを想像していただければ近い感じがする。著者自身がネット上で批判を承知で「ナンシー関を尊敬してやまない」と、堂々とあとがきに記している。ナンシー関は90年代を駆け抜けた心身ともに巨大なコラムニスト、その批評精神を引き継いでいる人たちは少なくない。


 芸能人をみる視点が満載だ。ズバリ記されているのは例えば「流行りの芸能人のほとんどは、『情熱大陸』的な外からの物語化、ブログやTwitterなど(略)内からの物語化、この二つを慎重に調合していく」など。画面に映る姿や表現の意味だけでなく、自分の抱く感情の出どころまで指摘されているような本だった。