すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

知った自分をどう描いているか

2011年09月26日 | 雑記帳
 県立近代美術館で開催されていた「藤城清治の世界展」が昨日閉じられた。

 およそ二カ月で、入場者8万人という数がどれほどの反響か私にはわかりかねるが、少なくとも本県における美術展としてはかなりであることは確かだろう。

 影絵の第一人者であることは知っていた。しかしあの「ケロヨン」の作者だったことは今回初めて知り、その話を聞いたときは不思議な感じがした。
 あの独特な影絵のイメージと、ケロヨン自体が結びつかなかったからだ。
 しかし、実際に展示会へ足を運んでみると、その範疇の広さに思わず驚いてしまい、納得してしまう。

 絵本仕立てのものは興味深く入り込めたし、大がかりな影絵の素晴らしさ…特に秋田の祭りを描いたものは、光と影という意味ではしっくりくるなあと感じた。ぜひ、我が地元の盆踊りも取り上げてほしいと感じた。

 さて、個人的に目を惹いたものの一つに、影絵でなく、描画がある。それも自画像である。
 写真は撮られなかったが、別のところで撮ってアップしている方もおられた。
 http://photozou.jp/photo/show/996146/83012754

 そして、絵よりもそこに添えられた文章(詩?)に、また惹きつけられてしまった。


 生きている上で一番大切な事。
 それは自分をよく知る事。
 自分は顔の中に凝縮されている。
 ・・・・・・中略・・・・・・・・
 ほんとうの自分を求めて自分をデッサンする。
 ・・・・・・中略・・・・・・・
 自分が描けずに他が描けるはずがない。
 自画像は全ての表現の原点だ!


 芸術家とは、まっすぐ自分に向かう心を持った人のことを言うのかもしれない。
 表現手段を持ったか持たないかによって、大きく方向は違うだろうが、表面の姿のみで判断することに何の意味があるのだろう。

 ごく普通の仕事に就いている人間でも、基本はやはり「自分を知る」ことなのだ。
 そして、知った自分をどう描いているのか。
 そこに満足を感じていれば、日々は充実しているはず。

 これは美術の問題ではないなあ、と感じいってしまった。