すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

外科医の子どもを見る眼

2011年09月14日 | 読書
 今となってはなつかしいNHK『プロジェクトX』。
 何篇か印象深い内容があったが、その中に医師須磨久善を取り上げた回がある。
 後継番組といってもいい『プロフェショナル仕事の流儀』でも、よく医師は取り上げられ、それなりに皆魅力的だが、須磨のときは人間としての深みがより強く感じられたように記憶している。

 バチスタという手術名はその時初めて知り、しばらくしてその名を冠した小説がドラマ化された。テレビでも映画でも観た。どうやら須磨が主人公のイメージモデルになっているらしい。

 『外科医 須磨久善』(海堂尊 講談社文庫)

 例の『チーム・バチスタの栄光』の著者海堂が、須磨の「語り下ろし」を中心に表した著である。
 そういえば、何年か前水谷豊主演でドラマがあったことを思い出した。この著の第一部がもとになっている。
 
 多くの超一流がそうであるように、その半生には栄光がありそして挫折がある。
 しかしそれは傍からそう見えたり感じたりすることに過ぎない。
 本人が自分の願いや一つ一つの出来事をどう受けとめたか、その尺度を知る術はなかなかないものだ。
 ドラマチックに見える須磨の半生も、自らの目標を見失わないところに原点があり、どのような過程もそれで説明できることは、凄いの一言だ。

 作家海堂が現在の須磨について書き下ろした第二部「バラードを歌うように」も実に興味深かった。

 心臓専門のハートセンターを設立し(現在は移って心臓血管研究所に務めているらしい)、順調に仕事をこなしていくなかで、子どもたちに見学の門を開いた箇所が、特に惹かれる。
 手術の現場を見せるという発想は、人が育つとはどういうことか深い認識を持っていなければ生まれてこないし、したたかな実行力なしにその発想は実現しない。
 
 教育に関して発言している須磨の言葉がいくつかある。
 頭でわかっているようなつもりになっているが、実は日々の中で無視しがちな、そんな一言をメモしておきたい。

 子どもの感性ってすごいものです。あっという間に本質を見抜いてしまうんですから。そして本物は子どもの心を動かします。

 それに続く言葉は、また深く噛みしめなければならない。

 今の時代は、子どもがおかしいのでなく、子どもに対する物事の伝え方がおかしくなっているだけなんです。