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桜と絵本と豆乳と

忘れそうな当たり前のこと

2009年01月26日 | 読書
 昨日に続いて『授業深耕への架橋 続授業深耕への架橋』を読み進める。

 千葉氏が記した「続」の前半部は、「授業と基礎学力」について多くの頁が割かれているが、読み応えがあった。
 「基礎学力」「基礎基本」「基礎的な内容」など様々な言われ方をするが、その一つ一つにはきちんとした意味があるわけで、それを曖昧にしたまま口にしていることを反省させられる。

 「基礎学力」をとらえる視点として次の三つを挙げられていた。私たちが使う教育や授業研究のことばを考えるうえで、非常に大切だと感じた。

・全体的にとらえる
・動的・相対的にとらえる
・歴史的にとらえる

 何が「基礎」であるのか、そのとらえ方によって使う言葉は見事に違うだろう。
保護者や地域の方々に自分の声でわかりやすく説明できるか、それは何を学ばせようとしているかが明確でなければ無理なことであり、絶えず問われていることなのだ。

 さらに「あえて、次の二点を付加し」と、提示されたことについては、少々ギクリとした。

 その第一は、教師は「子供の否定的な面と肯定的な面とを、並列的にとらえる」ことだけは、絶対に避けたいということです。

 ともすれば、「○男は算数は駄目だが、体育なら一番だ」(だから、そちらを伸ばしてやればいいんだ)などという安易な発想をしてしまうことがなかっただろうか。そんな姿勢は、少なくても初等教育では通用しないことを何度も思いだして戒めとしなければならない。

 第二に強調したいことは、何といっても、学校の基本的役割は「知育」にあるということです。

 「知・徳・体」は確かにその通りであるが、それは全ての「教育」に当てはまる。知育こそ学校の一番の本務であり、その地域にあり、その地域の子が通い、集団で学問をする場所が学校なのだということ…目まぐるしい状況の変化に時々忘れそうになりそうな、当たり前のことである。