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ブログ版 シュプリッターエコー

カール・セーガン

2010-01-14 17:45:00 | 引用
カール・セーガンといえば、小さい頃、彼が監修した「コスモス」というテレビシリーズが放映されていたのを一時期楽しみに見ていた。内容は宇宙や科学論の紹介という以上の具体的なことは何もおぼえていないが、美しい映像とドラマティックな構成は、逆説的なもの言いかもしれないけれど、神秘なる宇宙、神秘なる世界というイメージを強く印象に残すものだった。

先日、阪急電鉄 春日野道駅の南にある古書店、勉強堂でセーガンのエッセー集「人はなぜエセ科学に騙されるのか」(青木薫訳 新潮文庫 上下2冊)を300円で手に入れた。どうしても読みたくて、というわけではなかったけれど、そういうノスタルジーからのこと。原題は"The Demon-Haunted World: Science as a Candle in the Dark"。直訳すれば「悪霊に取り憑かれた世界:闇を照らすロウソクとしての科学」。ときどき拾い読みをしている。

科学的思考というものが先進的な文明や特定の信仰によってもたらされるものではなく、あまねく人に備わったものであることを説明する章におもしろい記述が。セーガン自身の研究や見解が示された箇所ではなく、むしろ引用の箇所なのだが、訳も軽妙で楽しい。アフリカのクン族が獣の足跡から狩りのための詳細な情報を引き出すという説明につづく一節。



「狩猟採集民は、動物の足跡ばかりでなく、人の足跡のことも実によく知っている。彼ら[クン族]は「バンド」と呼ばれる集団をつくって暮らしているのだが、バンドのメンバー全員の足跡を見分けることができるそうである。彼らにとって人の足跡は、顔と同じくらいなじみのある目印なのだ。ローレンス・ヴァン・デル・ポストは次のように述べている。

 ヌホウと私は仲間と別れ、キャンプからかなり遠くはなれたところで、傷ついたシカを追っていた。すると突然、別の人間と動物の足跡がわれわれの足跡とぶつかったのだ。ヌホウはすぐさま満足そうな唸り声をあげ、これはつい今しがたバウハウのつけた足跡だと言った。そして、バウハウは全速力で走っているから、やがて獲物をつかまえたバウハウに出会うことになるだろうと自信たっぷりに言い切ったのだ。ヌホウと私は、目の前の砂丘を登りつめた。すると、なんとそこにはバウハウがいて、獲物の皮を剥いでいるではないか。

 また、同じクン族のなかに入って調査を行ったリチャード・リーによれば、あるハンターは、足跡をざっと調べただけで「おい、見ろよ。トゥヌが義弟と一緒にいるぞ。でも、あいつの息子はどこだろう」と言ったそうである。」(下巻p.179-180)



これより少し前の箇所で、惑星天文学者がクレーターを調べる仕方とクン族のハンターが獣の足跡を調べる仕方が本質的に同じ手法であると述べられているのも胸をときめかせる。そういうさまざまのスケール、次元を結びつける語り口は、テレビシリーズ「コスモス」でもそうだったと思うが、セーガンのほとんど名人芸と言ってよく、それは科学を身近に感じさせるというよりは、世界の姿を少し、世界の見え方を少し変えてくれる。そしてそのことが僕らの生を活気づける。この世界で生きていく希望が少し与えられるというのか。


昨年「コスモス」をモチーフにした美しいミュージックビデオがweb上で発表されている。→http://www.symphonyofscience.com/
茶色の髪をした角張った顔の男がセーガン博士。上に引用した"The Demon-Haunted World: Science as a Candle in the Dark"が出版されたのが1995年。セーガンは翌年の96年に病没している。






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