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「俳句×美術/伊賀上野2019」の展覧会カタログ

2021-07-10 04:47:00 | 美術
「俳句×美術/伊賀上野2019」の展覧会カタログの美しさに見入ってしまいます。
この展覧会は、長野久人さんら9人と1グループの美術家が、現代の俳人たちの句、また松尾芭蕉の句にインスパイアされて制作した作品を展示するという企画です。
残念ながら私は拝見したことがないのですが、2015年のプレ展から以来、丹波篠山と伊賀上野で開催をつづけ、2019年の展覧会は伊賀上野、江戸時代の藩校跡である旧崇廣堂が会場となりました。



胎児をかたどった特異な立体作品で知られている長野さんは、木村和也さん、藤井直子さんの句とのコラボレーションです。
いずれも「骨」を詠んだ句。

木村和也さんの「白骨の六月きれいな雨がふる」。

長野さんは、この句に応じ、澄んだ水の底に小石と一緒に小動物の骨が横たわるテーブル状の作品を発表しています。
水は透明の樹脂によって表現され、そこに雨粒が降るようです、何とも美しい波紋が二つ、三つ、さざ波の輪を広げていますが、その底に完全な骨格を備えて沈む動物の骨は、本物の貂(テン)のものだといいます。長野さん自身のテキストに「道で事故に遭って死んだ貂を拾ってきて骨にしたもの」と。

骨となったその貂の姿はまるで、あの今にも羽ばたこうとする姿のまま、石というより時間に閉じ込められた始祖鳥の化石のようで、この小さな姿に、ただいまの時間に遥か太古の時間が重なり、それを透かしみせるようです。確かに生命の悠久の歴史のなかで、同じ数だけの死が堆積してきたのです。



長野さんのテキストに、またこうあります。

母は小学二年の時に死産が原因で亡くなった。六月だった。桶型の棺に薪を積み上げて焼いた。黒い炭の中の骨は妙に白い。

そのような境涯に置かれたとき、いったい私たちはそこでその死児を憎めばいいのでしょうか、憐れめばいいのでしょうか。
家電製品やあらゆる日用品に変化(へんげ)し、一体化する黄色い胎児のシリーズでみる者を仰天させてきた長野さんですが、あの増殖をつづける胎児たちの根底にはこのような悲しみの体験があったのでしょうか。もしそうだとすれば、それはひとつの、いえ、ふたつの喪のあいだに引き裂かれた仕事なのかもしれません。悲哀と滑稽、怒りと諦念、そんな様々の様相を同時に表わすような長野作品の複雑な相貌はそのような場所、そのような源から流れ出てくるものなのだろうかと、そんなことを考えさせられるのです。

「シュプリッターエコー Web版」の長野久人さんとアンドレイ・ヴェルホフツェフさんの2019年の2人展「世界の誕生」の紹介記事



カタログの編集は田中広幸さん(「俳句×美術/伊賀上野2019」実行委員長)、山田卓矢さん。デザインは山田卓矢さん、藪本絹美さん。
「深海にゆっくり届く箪笥かな」「翡翠や兄さん紙となっている」など印象的な小倉喜郎さんの句に、アクリルや磁器による作品で静かに寄り添う山下裕美子さんの作品のページもとても美しく。
(t.y)


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