あれは神戸市の緑地課の仕事なんでしょうが、この時期になると街路樹がね、まだ緑の葉を茂らせているのに枝を払われてしまうんです。
ぼくの家の近くは立派なユリの木なんですが、もうみんな丸坊主。なんか不気味な光景です。
これでは、うっそうとした緑が神戸の街を覆い尽くすような、そんな心のなごむ景観は永久にやってこないな、といつも残念に思うんです。
理由はいろいろあるんでしょうけど、ね。落葉がいっせいに始まると掃除が大変だとか、木が大きくなりすぎると送電線を傷めるとか。
でも、それって、しょせんは管理の問題でしょう?
人の心のことを考えて街路樹を精一杯豊かにしてやろうと、そういう発想を基軸に置いたら、別の対応がありますよね。
掃除の回数を増やすとか、送電線を地下に埋めるとか。日本の多くの都市がまだそうなんでしょうけど、この街ではとにかく管理が優先されて、どうもちょっと寂しいんです。
ぼくの家の近くは立派なユリの木なんですが、もうみんな丸坊主。なんか不気味な光景です。
これでは、うっそうとした緑が神戸の街を覆い尽くすような、そんな心のなごむ景観は永久にやってこないな、といつも残念に思うんです。
理由はいろいろあるんでしょうけど、ね。落葉がいっせいに始まると掃除が大変だとか、木が大きくなりすぎると送電線を傷めるとか。
でも、それって、しょせんは管理の問題でしょう?
人の心のことを考えて街路樹を精一杯豊かにしてやろうと、そういう発想を基軸に置いたら、別の対応がありますよね。
掃除の回数を増やすとか、送電線を地下に埋めるとか。日本の多くの都市がまだそうなんでしょうけど、この街ではとにかく管理が優先されて、どうもちょっと寂しいんです。
緑地率が少ない方です、確か。
意外に大阪の方が多い。
そもそも「緑地を作る」という発想が
ヨーロッパ的発想なのです。
ヨーロッパは一万年前まで氷河期で
ドイツやフランスの中部辺りまで
大陸氷河に覆われていました。
例えればスケートリンク状態だったのです。
それが今のような暖かい気候になるにつれ
氷河は溶けてどんどん北へ下がって行きました。
その時肥沃な土壌も削り取ってしまいました。
だから全くの自然のままなら
草地ぐらいしか出来ないのです。
フランスやドイツの森は人間が作ったのです。
作らざるを得なかった。
対して日本は大陸氷河の浸食を受けていません。
だから自然のままにしておけば
立派な森が出来るのです。
しかし縄文時代以降日本人は森を壊し続けました。
都市部では第二次大戦の空襲の影響が
ありましたが。
戦後も開発でどんどん壊しました。
それが最近のエコロで何の思想もなく
適当に木を植えます。
森を作るのにやっきになるヨーロッパ、
森を壊すのにやっきになる日本。
何か宮崎駿的になってきたので
結論もなく終わりますが…
せめて管理の仕方を考えて植えて欲しいですね。
私の家の前は、本当に手をいれる必要がある箇所(信号や標識を遮っているところ)ほど野放しになっています。
緑には、種類やその場所にあった姿、形があるはずなんです。ちゃんと気付いてあげて欲しいです。