須磨に住む詩人の福永祥子さんが、詩書展「夢爛漫・春」を神戸・三宮のカフェガラリーゆめやで開きました(4月2日~6日)。
福永さん自身の詩をひとつひとつ書の作品にして並べました。
時節がら、春をテーマにしたのです。
サクラはもちろん、野の草花がふんだんにうたわれます。
いかにも神戸らしく明るい陽射しと明るい海がうたわれます。
なかでも深くうたれるのが、心のなかに照る光、心のなかで開く花、つまり愛をうたった作品です。
みずみずしい愛をうたう詩人です。
ああ、そうか、と思う話を聞きました。
福永さんは、書をするときは筆を左手で持つそうです。
きき腕の右手だとなんなく書くことのできる字でも、左手ではそうなめらかにはいきません。
むしろ全身をぶつけるようにして書かないと、思った形になりません。
そのことによって、いのちが字に移っていくような、そういう実感があるのでしょう。
ギャラリーの空間には、ひとびとの笑顔が満開でした。
見えないものを眺め、聞こえないものを聞き、さわれないものに触れているひとびとの、おだやかな笑顔が満開でした。
福永さん自身の詩をひとつひとつ書の作品にして並べました。
時節がら、春をテーマにしたのです。
サクラはもちろん、野の草花がふんだんにうたわれます。
いかにも神戸らしく明るい陽射しと明るい海がうたわれます。
なかでも深くうたれるのが、心のなかに照る光、心のなかで開く花、つまり愛をうたった作品です。
みずみずしい愛をうたう詩人です。
ああ、そうか、と思う話を聞きました。
福永さんは、書をするときは筆を左手で持つそうです。
きき腕の右手だとなんなく書くことのできる字でも、左手ではそうなめらかにはいきません。
むしろ全身をぶつけるようにして書かないと、思った形になりません。
そのことによって、いのちが字に移っていくような、そういう実感があるのでしょう。
ギャラリーの空間には、ひとびとの笑顔が満開でした。
見えないものを眺め、聞こえないものを聞き、さわれないものに触れているひとびとの、おだやかな笑顔が満開でした。
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