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しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

ズガ・コーサクとクリ・エイト二人展、吉村宗浩展、神戸文学館

2020-07-03 02:31:00 | 美術
6月23日の日曜はSpace 31(神戸・御影)にズガ・コーサクとクリ・エイト展「非常口」をみにいきました。
「ズガ・コーサク」こと岸川希(のぞむ)さんと「クリ・エイト」こと岡本和喜(わき)さんは、これまでも「踏切」や「文化住宅」といった街の一角の風景を段ボールなどの廃材で制作してきました。
Space 31の展示室全体が、非常階段のあるビル裏に変わっていました。面白かったです。
今回はコロナウィルスのせいで見送られたとのことですが、お二人はいつも作品に合わせたパフォーマンスをされます。そのパフォーマンスの記録映像もギャラリーでは見ることができたのですが、これが可笑しくて可笑しくて。
「シュプリッターエコー Web版」でご紹介しています。http://splitterecho.web.fc2.com/critique2019-2020.html#s20025


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そのあとは元町の歩歩琳堂画廊で吉村宗浩さんの個展「希望のかなた」をみました。
吉村さんの作品は初めてでしたが、一目見て吉村さんの作品だときっと分かる、そういう個性があるのは凄いことですねとお話しすると、自分は様式というのはあまり意識していないのですが、とおっしゃっていました。
しかしその「様式」というものをこそ、強く感じた機会でした。
そのことを軸に、こちらも「シュプリッターエコー Web版」でご紹介をしています。http://splitterecho.web.fc2.com/critique2019-2020.html#c10082


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この日最初に立ち寄ったのは、近所の神戸文学館でした。
このときは「蔵出しアラカルト」という企画展を開催中でした。
中でも目を引くのは山中一夫さんによる映画「獄門島」の絵。
例の着物姿の女性が逆さづりで殺されている場面ですね。
横には立ち尽くす金田一耕助(古谷一行)。
もちろん原作者の横溝正史が神戸にゆかりあって故の展示ですが、あ、うん、神戸文学館なかなか攻めてますね、という。



(takashi.y)


カントの穴――嘉納千紗子展 INNER MIND

2020-03-22 03:16:00 | 美術
現代美術家の嘉納千紗子さんの個展「INNER MIND」がcity gallery 2320(神戸市長田区)で開催されました(2020年3月7日~3月22日)。



圧巻は、近年制作されているストローの構造体のシリーズです。
接着されて束になった無数のストローが堅牢かつ柔軟な塊へと生まれ変わって、これは何という存在感でしょう。
そして「柔軟な」というのは、作品は確かに大きく形を変えるのです。



実際に嘉納さんが目の前で持ち上げ、その自在な変形ぶりを見せてくださいました。
また、ストローですから、正面から穴を覗けば向こうが見えます。こちらの眺める位置によってあちらの透ける場所が変わる、非常に表情豊かな構造物です。



そして、この色。
今回、白や黒のストローで作られた作品も展示されていましたが、やはり赤の存在感は圧倒的です。
血の色?
というより、これは肉の色、何か巨大な身体からえぐり取られた筋肉の塊がドカッとそこに横たえられているようにも思えます(その柔軟さを目にしたあとはなおさらのこと)。
これが噂の使い捨て文明、大消費社会の腹の肉? 証文が確かに物を言い、将来への借金のカタに取られた「心臓すれすれ」の1ポンド? いや、10ポンドは優にありそう……

それにしても面白いのは、この肉、肉体の部分を思わせる塊の核を成すのがストローの外側の部分なのか、それともこの穴なのか、という問題です。
そして私たちは嘉納さんの作品を前に、やはり直感的にそれは穴、あるいは空なのだと感じているのではないでしょうか。



さて、今回ギャラリーの2階では、以前に制作されていた「beyond a wire fence」のシリーズも展示されていました。
このシリーズについてはシュプリッターエコー Web版に山本忠勝が書いた記事があります(嘉納千紗子展「beyond a wire fence」http://splitterecho.web.fc2.com/backnumber.html#0005

このとき山本忠勝記者(故人)の頭にあったのはまずカント(1724-1804)でした。
カントにおいては、時間と空間を形式とする感性を通じ、まず一定の内容が私たちに与えられ、それが純粋悟性概念(カテゴリー)という一種の篩(ふるい)にかけられ整理されることで、認識が成立するとされます。
その一連のプロセスというのは、この無限の奥行きをもった世界に格子、あるいは座標軸を重ねていくことだと、記者は話していました。
その格子のイメージは、つまりカントに限らず、概念による世界の把握という作業一般の比喩ともいえるのですが、むしろ言いたかったのは、その格子の目をどんなに細かく小さく厳密なものにしていったとしても、どこまでも空隙は、穴は残り、そこに世界の豊饒さ、無限性こそがかえって示されるということでした。
そしてこの嘉納さんのストローのシリーズを前にして、やはりその穴を、無限をめぐる問題が一貫して現われていることに気づき、ハッとさせられるのです。

(takashi.y)




Chemical Reaction 4、しまだそう、るりの会、id…(秋も深まってきた頃の)

2019-11-08 02:39:00 | 美術
ギャラリー Space31(神戸・御影)で開催されたChemical Reaction 4(会期2019年11/2~11/10)。毎年11月に開かれるグループ展です。今年は21名の作家が出展しました。


写真左は山岡敏明さんの作品、右は滑川みざさんの作品です。
滑川さんは今年5月にこのシャボン液を使って描かれた作品のシリーズを中心にSpace31で個展を開催しました。
体内が透けて見えるある種の線虫や、内臓の磁気共鳴画像を思わせるこの作品のクリアさや繊細さは写真ではなかなか伝わりません。


オープニングでは滑川さんのライブペインティングがあったそうです。上の写真がその作品です。


上村亮太さんの作品です。絵画は「落ちてきた星」のシリーズを出展されていました。
<かわいくて、かなりヘン>。そういう上村さんの世界ですが、「毒がある」というのとは少し違って。
上村さんの描く「ヘンな」世界には驚くほど皮肉なところがありません。
そこでは限りなく純粋なものが目指されているようで、それが、多くの人が上村作品に惹きつけられる理由かもしれません。
そして上村さんといえば現在制作が進められている絵本『アネモネ戦争』の完成が楽しみです。


上は近松素子さんのエッチング作品「おとといの夢」です。
小さな粒たちがただよう薄紙がいく枚も重ねられています。
何かしらの対象物が描かれているというより、浮遊感のある、ある空気が描かれているようで印象的でした。



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STREET GALLERYでの しまだそうさんの展示「木曽路はすべて山の中である。」(会期10月28日~11月24日)。
文句なしの楽しさでした。
大きなパネルに、四コマ漫画のコマ割りのような4つないし3つの区画。
それぞれに描かれた山や川を思わせる幾何学的形象。
そして超新星爆発(?)「ドン」。
また、パネルの上や手前には「新生」をかたどった木枠の文字が配されています。
「VITA NOVA(新生)」というのは、しまだそうさんが描き続けている一連の作品のシリーズ名なのだそうです。
STREET GALLERYはJR住吉駅近くの人通り・車通りの多い道に面したウィンドウのみのギャラリーです。ここに一点飾る作品を制作する(選ぶ)というのは作家にとって相当に緊張感をともなうことのはずです。
そういう所謂「TPO」へのひとつのパーフェクトな応答を見るような爽快感がありました。
目で追う要素がいくつもあるというのは鑑賞の楽しみの理由とはもちろんなりますが、やはりそこに配置とコンビネーションの妙がなければ喜びは生まれません。
こんな騒がしい街角でもいつまでも飽きずにながめさせられてしまうこの現代的で魔法のような構成はどうでしょう。

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灘区の原田の森ギャラリー(兵庫県立美術館王子分館)では会期をほぼ同じくして三沢かずこさんの「るりの会」と杉本裕子さんの「id」(イド)の展覧会が開催されました。


写真は三沢さんの作品と会場の様子です。
三沢さんは今年『MISAWA BLUE 三沢かずこの青』という美しい画集も出されました。


八木美幸さんの「MARU」と題された作品。
赤い半球状の土台の上に、また無数の小さな赤い半球が載っています。
彩色したのではなく、すべて新聞のカラーページを使っているそうです。
よく見ると広告の文字が読めます。
少しグロテスクで、でも愛嬌があって目を引きます。
三沢かずこさん主宰「るりの会 作品展 -それぞれのかがやき-」は原田の森ギャラリー東館2階で2019年11月7日~12日の会期で開催されました。

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こちらは杉本裕子さんの作品です。
三沢さんも杉本さんもこの場では教え子の皆さんに花を持たせて、ご自身の作品はひっそりと飾られています。


上田暢子さんの作品です。
枯れた雰囲気の、落ち着いた作風の作品でしたが、とてもくっきりとした存在感を放っていました。


杉本裕子さん主宰「id. '19」は原田の森ギャラリー東館1階で2019年11月7日~13日の会期で開催されました。

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劉長煒 堀尾貞治 あたりまえのこと 陶+(トータス)他

2019-11-04 09:49:00 | 美術
展覧会「劉長煒 堀尾貞治 あたりまえのこと 陶+(トータス)」が南京町ギャラリー・蝶屋で11月5日(火)まで開かれています。
亡くなって1年となる堀尾さん。各地で多くの企画展が開催されつづけています。
そして陶芸家の劉長煒さんも今年の1月に逝去されました。神戸・北野に工房を構え、堀尾さんのほかにもWAKKUNら美術作家とのコラボレーション作品を精力的に発表していらっしゃいました。
今回の南京町ギャラリーでの二人展は堀尾貞治さんの娘さん、堀尾あやさんの企画によるものです。


あらかじめクラッシュされたような陶の塊や、ガレキを盛ったようなお皿など迫力のある作品がところ狭しと並びます。
また堀尾さんらしい遊び心に溢れたユーモラスな絵付けは見ていて飽きません。
南京町ギャラリー・蝶屋は神戸・南京町(中華街)の真ん中、赤い東屋(あずまや)の建つ南京町広場のすぐ脇です。


堀尾さん関連の展覧会としては他に、

神戸わたくし美術館(神戸・長田)で「会館20周年記念展 堀尾貞治・昭子の世界Ⅲ 三浦徹コレクション」が2019年9/1~11/20の会期で。

ギャラリー島田(神戸)で「堀尾貞治 神野立夫 ダニエル・ポントロー 松谷武判 四人展」が同10/26~11/6の会期で。

ラッズギャラリー(大阪・福島)で「堀尾貞治+井波美知子展」が同10/29~11/10の会期で。

以上が現在、並行して開催中です。


(takashi.y)


林哲夫展 写実と幻想

2019-09-28 08:48:00 | 美術
展覧会タイトルにどう接するべきなのか、いつも迷います。
その言葉がどれぐらい重要かは、作家によってさまざまでしょう。
しかし著述家でもある林哲夫さん、決して言葉をないがしろにするようなことはないでしょうし、場合によっては本人の企図とは別のところで言葉が重要な意味をおびてくる、そういう言葉の祝福を受ける画家がいるとすれば、この人をおいて他にはないはずです。
 
「写実と幻想」。
身も蓋もないタイトルといえばそうです。
カフカやランボーのポートレイト。後者はヴェルレーヌと共に本の表紙の肖像として描かれていますが、さらには図版のない本そのものの形姿。また、猫たち。いわばこれらが「写実」を担当。
そしてデカルコマニーのシリーズ。確とは何が描かれているかは分かりません。暗黒星雲のそこここで輝く星のような、地と光の形象。ある種の心理テストの図像のように人の横顔を読み込めそうだったり、像を結びそうで結ばない夢の記憶のようです。いわばこれらが「幻想」の極。
と、こんなふうに、これも身も蓋もない仕方で整理をしてみると、しかしもうひとつのシリーズ、コラージュ作品の面白さがいっそう際立ってくるようなのです。
 
コラージュの中でもとりわけ印象的なのは、デカルコマニー作品に通じる「抽象的」な色彩の上に「具象的」な女性像が、今風にいえばコピー&ペーストされ、「オフィーリア」「レダ」といった新しく古い名を与えられた一連の作品。
鑑賞者はほとんど自動的に「写実と幻想」もしくは「具象と抽象」の融合という二分法で作品をながめてしまいます。
ですが考えるまでもなく、コラージュされた人物は絵画の人物であり、その地の上で相対的な生々しさを与えられることで、(たとえ写真作品の引用であっても)かえって非-写実性を増していくのです。
とすると「写実性」とはいったいどこにあるのか。
あるいはもはやこれは「幻想と幻想」というべき事態でしょうか。
上に「相対的」といいましたが、実はこれは度合い(”写実度”)の問題でもないでしょう。
ここで浮き彫りになってくるのは、おそらく写実性とはほとんど関係のない絵画独自のリアリティの問題です。
一方では事実感覚が爆発的に膨れ上がり、一方では仮想現実的感覚が、という現代的状況。
そのどちらもが「現実的な」「リアルな」という言葉で「写実性」を志向しており、そのあいだにあって、こうした絵画的リアリティは引き裂かれ、もう散り散りになろうとしているかのよう。
林哲夫作品のリアルな、というより、アクチュアルな問いかけ、静かなる抗議があるように思われるのです。
 
それにしても、あの「オフィーリア」の鮮烈さ。
彼女の背景にあしらわれた色は、足を傷つける尖った岩場、潮の引いたあと岩場に残された水、かなたの暗い森、その上で暮れていく空……
そんな場面はないはずですが、荒涼としたデンマークの海岸で、無慈悲な仕打ちを受けながら、なお愛してやまぬ王子が送られた(はずの)イングランドの彼方をながめやる彼女、この姿を浮かべることなしに、もう『ハムレット』を思い出すことはできないかもしれません。




「林哲夫展 写実と幻想」は神戸・元町のギャラリーロイユで2019年9月14日~10月5日の会期で開催。ギャラリーのホームページはhttps://www.g-loeil.com/

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小曽根環展、仮名手本忠臣蔵、天満…(桜も散り際の頃の日記)

2019-04-17 06:11:00 | 美術
文楽劇場で「仮名手本忠臣蔵」をみました。
いま大阪で上演されているのは大序から、塩谷判官(浅野内匠頭に相当)の切腹をクライマックスとする四段目まで。このあと夏と秋に分けて残りの段がすべて上演されます。
「塩谷判官切腹の段」では人形を操っているというよりは、塩谷判官の人形がそう動こうとするのを吉田和生さんたち人形遣いが手伝ってやっているような、そんな不思議な感覚に襲われました。
「切り場語り」の豊竹咲太夫さん、渋かったです。
ひとつの段のクライマックス場面を「切り場」、その切り場を語るトップスターの太夫を「切り場語り」と呼びますが、いま咲太夫さんが唯一の切り場語りなのだそうです。

それにしても、Webでチケットを予約したときは残席がもう2、3席しかなくて焦りましたが、今日行ってみると、僕の前20席ぐらい誰も座ってなかったのは、あれはどういうことかしら。みやすくてよかったけど。



その後、小曽根環さんの作品展をみに西天満のMI galleryに。
アクリル板の上に以前は水玉模様が散りばめられていたのが、今度は線に。
明るく澄んだ彩色が、くすんだ、少し生々しくさえある赤や緑に。
以前、小曽根さんが「自然が好きで」と話していらっしゃったとき、僕としてはむしろソリッドで無機的な作品のたたずまいに心をひかれていたものですが、今回、より有機的な自然を感じさせる展開を遂げているようで、いろいろと腑に落ちるものがありました。
もう形が決まった、と思われたところから、さらに展開をする。すこしでも自分の表現したい形に近づけようと、純粋さを研ぎ澄ませていく。
いばらの藪をみつめているようだとも思いました。その筆づかいには得も言われぬ運動の快楽があり、いつまでながめていたく思われました。
会期は4/19(金)までです。


小曽根環さん「ダイジニオモウコト」


それから、ギャラリー風で「第7回カロンズ大賞展」。
ギャラリー主催のカロンズ大賞の候補作家6人の作品展です。
寺岸遼佑さんの作品は、石膏地を滑らかに、そしてとろどころ少し盛り上げて塗りこめてある、その白の美しさが目をひきます。
そこに葉や花を思わせる形が優美な色使いとタッチで描かれているのですが、単なる余白ではないあの白地との緊張感が作品に独特の印象をもたらしています。
今後どんな作品を描いていかれるのか楽しみです。
候補者6人の方々はいずれも30代半ばぐらいまでのお歳だということ。
最終日4/20に大賞の結果発表があり、受賞者はART OSAKA 2019のブースで展示されるそうです。
審査員の方々のお名前の中には神戸のBBプラザ美術館顧問の坂上義太郎さんのお名前もありました。


寺岸遼佑さんの作品


最後に、アートコートギャラリーで「今井祝雄 行為する映像」展。
今井祝雄(のりお)さんは「具体」出身の作家で、今回の展覧会の圧巻はやはり、天井の高い大きな展示室の壁に映し出される16ミリ作品「円」(4分、1967年)でしょう。
不安定に揺らぐ円形の光に、不明瞭で断片的な様々な音が重ねられる映像作品ですが、作品が終わったあとの沈黙、沈黙に突き落とされたという感覚が衝撃的です。
何と、いま解説を読むと「16ミリフィルムにパンチで1コマずつ穴を開ける手法でつくられた」のだそうです。
まだ頭の中で光が伸縮し、奇妙な騒音が反響しています。
アートコートギャラリーは本当に久しぶりに行きましたが、ここはロケーションにしろ展示空間にしろ、無二の場所です。好きです。
今井祝雄展は6/15までと、割と会期はあります。




アートコートギャラリー


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ギャラリー風からアートコートギャラリーまで行くのに、大川沿いに出るまで天満をさまようてたわけですが、西天満にある伏見屋書林という古本屋さんに入りました。
ここは人文書も充実していましたが、法政大学出版局の「ものと人間の文化史」のシリーズがみたことないぐらいたくさん並んでいました。


大阪天満宮門前の黒猫。ごはん~って人なつっこく鳴いてましたから、かわいがられてるんでしょうね。


大川の河原に下りようってあたりの桜。カラスがいっぱい。


カラス、カラスです。花見客が残していったのか河原はゴミがすごくって、そのゴミとカラスだらけの陰鬱な川沿いの道を、散り際の桜を愛でる人やらたくさんの外国人観光客やらがちょっと素敵な場所って感じで歩いてて、何だか感覚が混乱します。


別にカラスが苦手というわけではありませんが。


河原から橋に上がる素敵な螺旋階段。でも階段の下はやっぱりゴミだらけ…。


橋に上がれば、はや日は暮れかかり、空には月と飛行機と。


アートコートギャラリーからは徒歩で梅田を目指しました。静かな住宅地を歩いていたら、向こうにカーニバルのような光が。


近づいてみると、天満市場。


またゆっくり歩いてみたいです。


(takashi.y)



井上廣子展を中心に(2018年クリスマスの日の日記)

2018-12-25 23:59:00 | 美術
井上廣子さんの作品展「Metamorphosis」を大阪 心斎橋のYoshiaki Inoue Galleryにみにいきました。
デュッセルドルフの製鉄所とおっしゃっていましたが、溶鉱炉から火花を上げて流れ出る溶けた鉄と、地下(?)の設備に降りそそぐ冷却水という対照的な光景の写真作品、そして後者の光景を風にゆらぐスクリーンに投影した映像作品です。
精神というものをめぐって、その構造、その物語を静謐に、それでいて饒舌に語る一連の作品から、やはりなお精神性というものを問いつつ、その物語-構造から脱けでる新しい表現の方法がとられているように感じました。
このことは近いうちに記事にまとめられればと思っています。

ところで何と、こちらの井上さんの作品展、明日12/26(水)までなのです。
ご都合のつく方は、最終日にぜひ滑り込んでください。
3階の展示室で投影されている映像作品は、いつまでもその前に座っていたい気になります。


井上廣子さんの作品 Yoshiaki Inoue Gallery

今日は井上さんが在廊していらして、本当に十数年振りにお話をさせていただくことができました。嬉しかったです。
そして、以前「シュプリッターエコー」紙のインタビューで撮らせていただいた写真、「山本君が撮ってくれたあの写真が最高傑作だった」と言ってくださったのが本当に嬉しくて。
なのに、大変失礼なことに僕、その写真をお渡ししていませんでした。
データがどこかにあるはず。この年の瀬の大掃除で探し出してお送りしなくては、と。


井上廣子さんの作品 Yoshiaki Inoue Gallery

さて、今日はGallery Yamaguchi kunst-bauの三嶽伊紗展とYOD Galleryの服部正志展もみました。

三嶽伊紗(みたけ いさ)さんの作品は、雪の降りしきる池と、そこに浮かぶ水鳥たちが映される、記憶の中の光景のような「シロイ夜」が印象的です。
それと、画廊の雰囲気がいいです。特に入り口の扉が素敵で。
三嶽展の会期は2019年2/16までです。

服部正志さんの「1◯◯ × 1◯ = 1◯◯◯」展はユーモアに溢れた作品で、ぶらさがった無数のメダルのリボンに書かれた「ありがとう」と「どういたしまして」の応酬にはクスッと笑ってしまいます。会期は2019年1/19まで。


三嶽伊紗さんの作品 Gallery Yamaguchi kunst-bau

本当はGallery Nomart(ノマル)で開催されている東影智裕さんの作品展にも行くつもりだったのですが、残念ながら今日は時間が足りませんでした。こちらは2/2まで会期があるので、近いうちに必ず行きます。

夜の9時を過ぎても人でごった返す梅田から阪急電車に乗って三宮で降りると、ホームに数えるほどしか人がいないのに思わず苦笑いしてしまいましたが、うちへ帰り、今年もグザヴィエ・ドランの「わたしはロランス」をみて、僕は僕でクリスマスの「儀式」を終えました。

ギャラリーで井上廣子さんの水の光景からタルコフスキーを連想したことを伝えると、井上さんもタルコフスキーが好きだとおっしゃったけれど、ロランスから送られてきた詩集をフレッドが読むシーン、これも大いに印象に残る水の場面であったことだよと思いつつ…

そんなクリスマスでした。


(takashi.y)



3人展「きみが2時間後に見る雲をみている」/KOBE STUDIO Y3/東野健一さん

2018-10-25 23:00:00 | 美術
「Meeting Point Vol.3 きみが2時間後に見る雲をみている(そこに風景が辿り着いたとき)」をKOBE STUDIO Y3でみました。林延子(オランダ在住)、アニャ・オルバチェウスカ(ポーランド在住)、マスダマキコ(神戸市在住)の3人の作家が1年間、連絡を取り合い、アイデアを共有しながら作り上げた作品が展示されています。

林さんの映像作品「Fwd:Sominy」は顔の映らない何人かの人物がおのおの或る「風景」について語るというもの。モニターの前には原語(英語)とその対訳のプリントされたテキストが置かれています。これが実際の体験についての証言なのか夢の風景についての言葉なのかはわかりません。

その脇にはオルバチェウスカさんの手になる絵画「Sominy」が掛かっています。「Fwd:Sominy」の中で語られていた印象的な湖の光景なのでしょう。茂みの合間から輝く湖面が開けているのがみえますが、やっと暗く不安な林を抜けたと思っても前が深い湖ではどこへも逃れられないではありませんか。しかし逃げ場のないこの汀(みぎわ)で、たとえ救いがなくとも、この波のきらめきに、岸に寄せるさざ波の音楽に、福音を聴き取り、魂の救済をみいだすのが作家たちなのかもしれません。


オルバチェウスカさんの「Sominy」と林さんの「Fwd:Sominy」


マスダさんの「paper cloud」


KOBE STUDIO Y3は「海外移住と文化の交流センター」内にあります。これは古くは神戸移住センター(国立移民収容所)と呼ばれ、1920年代から1960年代にかけてブラジル移民を中心とする海外移民を送り出してきました。移住者たちは鯉川筋を波止場まで下り、船に乗り込んだのだといいます。
以前はCAP HOUSEの名でアーティストたちのためのスペースとして使用されていましたが、現在は3・4階に作家たちのアトリエとギャラリーが入っています。


さて、センターを出て自転車で西へ。金星台のある諏訪山公園の前を通り平野へ。
平野周辺は平清盛の福原遷都ゆかりの土地で、祇園や雪御所(ゆきのごしょ)といった雅な地名が残っています。この平野の交差点にある古書店・やまだ書店に久しぶりに行きたかったのです。ところが残念、定休日だったのか早じまいだったのか、開いていませんでした。また次の機会に。




平野商店街


今度は有馬街道をくだり、神戸大学の附属病院の前を通って大倉山、中央図書館へ。
図書館はもう結構長く外壁の工事をしています。建物の向こうに満月かと思うような月が出ていました。さっきみたオルバチェウスカさんの作品に14夜の月を描いた作品がありましたが、今宵は16夜だそうです。


神戸市立中央図書館


何と図書館で偶然、倉富泰子さんにお会いしました。KOBE STUDIO Y3で制作されている作家さんです。9月にギャラリー島田で個展を開かれました。
図書館の外で少しお話ししました。アトリエのこととか、それから去年亡くなった東野健一さんのこと。

東野さんはインドの紙芝居、絵巻物(ポト)をみせて物語を語り聞かせるポトゥアでした。
あれはどういう経緯でそうなったのだったか、どこかの喫茶店で、僕と友人の2人のためだけにポトを繰り出しながら物語を聞かせてくださったのを思い出します。
あの大きな、強い声。
東野さんのポトゥアに触れた人々の耳の奥には、いつまでも残りつづけることと思います。

11月11日(日)にはセンターの5階のホールで東野さんを撮ったドキュメンタリー作品「生き抜く」の上映と、生前東野さんと交流の深かった宮城愛さんのライブがあるそうです。
主催 C.A.P(芸術と計画会議)with horo_horo 078.222.1003(C.A.P)

(takashi.y)



重松あゆみ展「Jomonの面影」

2018-09-21 01:58:00 | 美術
たいへん大きな対象ですから、こちらもじっくり記事を書かなければと思っていたのですが、やはりまず、ぜひご自分でみにいっていただきたい作品展です、会期の終わり(9/26)が迫っていますので、あわててご紹介をします。



神戸・北野のギャラリー島田で重松あゆみさんの作品展が開かれています。
写真をご覧になっても、素材が何か見当がつかないかもしれません。陶器です。
実際に作品を前にしても、一見、陶芸作品とはわからないかもしれません。
一般に陶芸の世界では「よく焼けている」というのが褒め言葉になるそうですが、重松さんの作品はそういう陶をめぐるオーソドックスな観点、もしくは臆見を静かに撥ね付けます。そしてその価値観と美意識を流動化し、熱く再活性化させるのです。

まず色。これはその作品自体を色付けるためというより、いかにその周囲の空間を染め上げるかということが目論まれているようです。
釉薬ではなく化粧土を塗り、比較的低温で焼いて着色する技法ですが、ここは陰影かと思うとそうではない、配色の妙に、淡い色彩が香りのように周囲に漂い出します。

そして形。「クラインの壺」というタームも出ましたが、内と外が分かち難くからみあっています(これが昔ながらの手びねりの手法でどう作られているのか想像がつきません)。
何かに似ているといえば、様々なものが連想されます。たとえば菅楽器。
しかしむしろ「楽器のようだ」ではなく「音楽のようだ」という印象。ここに重松作品を考えるひとつの鍵があるかもしれません。つまり、視覚的な表象を逃れ去るものの造形(心の中で思わず「オドラデク」とつぶやきました)。



作品展は「Jomonの面影」と題されています。
これは重松さんにあって、プリミティブなものへの憧憬ということとはちがうようです。
縄文土器を借り受けて、それをモデルに実際に制作をしてみたそうです。そして再現を試みる中で、明確な造形への志向、自覚的な美意識と知性を指先で感じたと。
重松さん自身、たいへんに知的な方ですが、タヒチへ行ったゴーギャンのような「野生コンプレックス」とでもいうべきものから縄文土器にひかれたのではなく、むしろ古代からの制作的知性の遍在を実感したことが、ご自身の制作に新しい局面をもたらしました。
知性が知性によって活気づけられ流動化し、作家自身の以前の作品が端正とさえみえてくるような激しいメタモルフォーゼを展開しています。


9月22日(土)15:00から、同じく陶芸作家である須浜智子さんとのギャラリートークが予定されています。
ギャラリー島田→http://gallery-shimada.com

(takashi.y)



北村美和子展

2018-09-06 22:15:00 | 美術
北村美和子さんから個展のお知らせが届きました。

2004年に神戸・三宮のギャラリーほりかわでみた個展 every horizon のアクリル画のシリーズはとても鮮烈でした。

その後、生い繁る植物、というより繁茂・繁殖のイマージュを植物の形象に託して定着させたような油彩、西宮 船坂ビエンナーレでの廃校の教室を使ったインスタレーションなどを発表されています。

2014年からは生まれ故郷の高知県に拠点を移して制作をつづけながら、去年は神戸・熊内のギャラリー 6丁目の花野で個展を開かれました。

今度は高知で2回目の個展。期間は10/6~10/21。会場はギャラリー 星ヶ丘アートヴィレッヂ。北村さんのお手紙によると「高知市内中心部から少し離れたお庭のあるゆったりとした空間」だそう。

DMの写真の「コンポジション」、とても気になります。





シュプリッターエコーに掲載させていただいた2007年の北村さんの個展評(山本忠勝)をこちらからお読みいただけます→「北村美和子 ゆらぎ 屈折 なること」

(takashi.y)