たしかにブログをやっていれば、自分の記事が注目されたり、話題にされたりするのは非常に嬉しいものです。多くの人に読まれ、何かを感じてもらえたら、書き手として公開した甲斐があります。そしてさらにリアクションも頂ければ、なおさら嬉しいわけですが……
でも、ちょっと待ってくださいよ。
あの日あの時あの(自分の)記事が、Web でちょっとした注目を集めたけれど、その影であの日あの時同じように上げられた、幾千万(そんなにあるかわからないけど)の別の記事があるんだよね。その中には、自分の記事が見劣りするくらい、眩しくて輝いてるイイ記事が生まれている可能性だってあるはず。でも、それが決してその日その時に注目を浴びるとは限らない。ひっそりと陰に隠されて埋もれてしまっていることもあるだろう。
そのような「消費されない記事」は、いつか日の目を見て注目を浴びて輝くことが出来るかもしれない。けれど、ブログはやはり生モノ。たとえ、いつ読んでも素晴らしい記事だとしても、生まれたての旬な時期というものがあるはずです。その時期を逸して、注目されずにいるという不幸、不運。そして、その代わりとまではいかないけれど、注目を集めてしまったオレの記事。
果たして、それを無条件に喜んでいていいのだろうか?
それは、本当は恥ずかしいことではないのだろうか?
本当の一番は別にいる(いた)のに、自分が間違って一番になってしまったような罪悪感を感じることって、ないのだろうか?
まだ、その本当の一番を知らなければいいかもしれないけれど、知ってしまったら恥ずかしくて穴があったら入りたくなりますね、たぶん。その知る時というのが、ある日突然、何の前触れも無く訪れて、ふと気が付いてしまったとしたら、それはとてつもなく恥ずかしいと思うのです。
[関連]
・『斬(ざん)』:トラックバック記事は、ホント読まれていないなぁ
・『斬(ざん)』:羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね
追記(2007.01.01)
関連にリンクを1つ追加。
でも、ちょっと待ってくださいよ。
あの日あの時あの(自分の)記事が、Web でちょっとした注目を集めたけれど、その影であの日あの時同じように上げられた、幾千万(そんなにあるかわからないけど)の別の記事があるんだよね。その中には、自分の記事が見劣りするくらい、眩しくて輝いてるイイ記事が生まれている可能性だってあるはず。でも、それが決してその日その時に注目を浴びるとは限らない。ひっそりと陰に隠されて埋もれてしまっていることもあるだろう。
そのような「消費されない記事」は、いつか日の目を見て注目を浴びて輝くことが出来るかもしれない。けれど、ブログはやはり生モノ。たとえ、いつ読んでも素晴らしい記事だとしても、生まれたての旬な時期というものがあるはずです。その時期を逸して、注目されずにいるという不幸、不運。そして、その代わりとまではいかないけれど、注目を集めてしまったオレの記事。
果たして、それを無条件に喜んでいていいのだろうか?
それは、本当は恥ずかしいことではないのだろうか?
本当の一番は別にいる(いた)のに、自分が間違って一番になってしまったような罪悪感を感じることって、ないのだろうか?
まだ、その本当の一番を知らなければいいかもしれないけれど、知ってしまったら恥ずかしくて穴があったら入りたくなりますね、たぶん。その知る時というのが、ある日突然、何の前触れも無く訪れて、ふと気が付いてしまったとしたら、それはとてつもなく恥ずかしいと思うのです。
[関連]
・『斬(ざん)』:トラックバック記事は、ホント読まれていないなぁ
・『斬(ざん)』:羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね
追記(2007.01.01)
関連にリンクを1つ追加。
そして、もし、自分の記事より優れた記事をみつけたら、自分の記事に追記する形で、その記事へのリンクを追加すればいいのだと思います。
もっとも、一番かどうかは別にして、話題になる記事を書けるだけでもすごいことだと自分は思います。
いやいや、もともと一番ではないという自覚があるのに、一番になってしまった気まずさなんですよ、この記事で言いたいことは。それで、この記事の一番というのは飽くまで喩えなんですけどね。どの記事が一番かなんてのは実際はわからないですからね。優劣をつける意味で順位付けしたということです。分かりにくくてすみません。
主観の問題ですからね。関連先の記事「羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね 」にそのあたりは詳しく書いてありますので、そちら参照ということで。
>そして、もし、自分の記事より優れた記事をみつけたら、自分の記事に追記する形で、その記事へのリンクを追加すればいいのだと思います。
いや、関連のあるなしではないですから、追記という形ではありません。同じ話題もしくは内容ということではなく、話題性のある記事においての優劣というか、運不運というか。
記事を書くものから観た読者的立場で考えた場合に、「こんな素晴らしい記事が同じときに書かれているのに、自分の記事のほうが話題になっちゃって、読者的立場でいけばそっちの記事が話題になって広がったほうが、自分の記事からの話題よりももっと楽しめたかもしれない」ってことですから。書き手の立場と読み手の立場が入り組んでいますので、ややこしいですけどね。
>もっとも、一番かどうかは別にして、話題になる記事を書けるだけでもすごいことだと自分は思います。
いや、それはごもっともです。たしかに。でも、ブログというのは比較的、話題になる閾値は低いと思います。なんせ、こんなオレでさえ、たまにはちょっとした話題になるんですから。その面白さが、成長させてるんだと思いますけどね。「豚もおだてりゃ木に登る」ってので、その気になってると、実力以上のものが産まれやすくなるのでしょうね。それが繰り返されると少しづつ実力がつくのではないかと。