songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

やっぱ君が代9~パフォーマンスと、取り上げるマスコミ~

2007-03-22 01:04:15 | 音楽
式典で君が代を歌う時間になると、立ち上がらなかったり、何か叫んだり、退席したりする教師。

今回は、その「行為」について一言。

ちょうど今は小学校の卒業式シーズンですが、中学校なども含め、卒業式におけるさまざまな出来事が、昔からよくマスコミで取り上げられました。

昭和30年代、40年代などは、「お礼参り」「安保闘争」などが取り上げられていたと思います。卒業式が終わるのを待って、恨みのある先生を呼び出して暴行を働いた卒業生たち。安保闘争の流れに乗って、卒業式をぶち壊すべく、過激な動きに出た卒業生たち。

今よりも、昔のほうが「厳粛、感動」どころではない、物騒な卒業式が頻発していたことがわかります。80年代前後になると(今の保護者が学生だった時代ですね)校内はワンダーランド、無法地帯と化し、卒業式にも警官を呼んで万一に備えたという例がよく取り上げられました。それこそ私がそのリアル世代ですが、20年以上たった今ふり返ると、学校の荒れ方は(私の母校は平和でしたよ)おそらく130年近い歴史を誇る日本の学校史上、最悪だったと思われます。が、卒業式のみに関して言えば、それ以前の時代ほどはひどくなかったのではないかと推測されます。

警官が呼ばれて話題になるレベルは、警官もお構いなしに闘争が行われた1970年前後よりは、ましでしょう。

さて、このあたりまでの時代の卒業式に関する騒動を、マスコミはどのように取り上げていたか。
ほとんどの場合、否定的な視点で述べられていました。どうしてこんなひどいことになったのか、式典が荒らされる、すさんでいく生徒の心、などです。

で、割と平和な式典が続く昨今、取り上げられることが多くなったのが、「君が代をどうするか」です。ターゲットは生徒ではなく、教師になってきました。
(もちろん埼玉県で、生徒の手による卒業式、なども話題になりましたが、今回は割愛します)

式典を舞台などにたとえては不謹慎ですが、例えば、舞台設定までしっかりと出来上がっている演劇で、俳優たちが変な演技をして舞台を台無しにしてしまうことがあれば、当然客や評論家は、主役である役者を叩きます。これが、従来の、荒れた卒業式です。

ところが、昨今の話は、舞台もでき、役者も順調にステージをこなそうとしているところへ、大道具さんが怒鳴り込みながら「この舞台を漫然と見ることに、皆さんは疑問を感じないのですか?」と入り込み、セットを持ち出して舞台袖に引っ込んでいくのと同じです。

普通に考えれば、「あきれてものが言えない」状態です。

しかし、それをマスコミが、否定的に取り上げているか、というと、そうでもない。どちらかというと、勇気ある行動だ、国民よ、考え直せ、という論調で語られていることが多いのです。

変だと思いませんか?

話を本筋に戻しましょう。君が代に反対する教師が、何とか訴えていきたいと本気で考えるならば、普通は、教育委員会や文部科学省などへ伺いを立てたり、同志を募ったりして活動していきます。ただ、このままでは地味で、世論を動かすことは難しい。
だからまあ、その手段の一つとしてマスコミを利用しようとするかもしれません。

でもその利用の仕方が、卒業式の場でのパフォーマンス。ちょっと待ってください、ですよ。
主役の生徒たちも、本当にそれに賛同していますか?卒業式は、あなたの主張を声高に伝える場なのですか?なぜ卒業式なのですか?

そしてマスコミ。そんな取り上げ方でよいのですか?成人式の荒れ方には思いっきり批判的に報道するくせに。
「どうしてああいう場で主張するのでしょうかねー」と言ってくれるキャスターがいないのが不思議です。あれは、パフォーマンスでしかないということを、どうして誰も言ってくれないのでしょう。

そして最も愚かなことですが、私がそのパフォーマンス性に気づいたのは、つい最近のことであります…。自分が許せない!!しっかりと、思いっきり踊らされました。

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