私生活、体調その他諸々いろいろあって、最近ではまともに記事が書けない日がずーっと続いておりました。
今回の記事も、本当は前回(5月)すぐに書きたかったのですが、(最近のデジャブその1、の記事です)書く集中力を保てず、結局半年もたってしまいました。
そうこうするうちに他にも書きたいことがいろいろあり、そちらもまとまらず…の半年でした。
1年前散々騒がれた「君の名は。」
「見るべきだ、見なければいけない」
「あんな名作、他にない」
「食わず嫌いとは論議する気にさえなれない」
「これを見ずして、結構ということなかれ(日光見ずして、のことだな)」
珍しいほど若い世代が、こぞってものすごい布教活動をした作品でした。あれほど群れたがらない、冷めた若い世代が、すごい使命感に突き動かされているかの如く語っていました。
我が家もご多分に漏れず息子世代がせかしました。「あれを見ずに語っちゃあだめだよ」と
そうはいっても、我が子世代よ
見る前から、我々世代は、そういう言葉を聞くほど意固地になっていったのだぞ
だって評判を聞けば聞くほど、「転校生」と「時をかける少女」のミックスではないか
お恥ずかしながら我々の世代は、それらの映画で当時胸をきゅんきゅんさせ、「このときめきは自分の心の中にそっとしまっておこう」と
がたいのいい男どもまでもが、これでもかというほどときめいた世代なのだ わかるか?恥ずかしくて口になど出せない青春だったのだ
なぜおまえたちは口に出す?そして強要する?
もう我々の世代では、とっくに終わっている世界なのだぞ
…と言いたかったのですが言えるはずもなく、今年の春、岐阜の映画館でやっていたので家族で見に行きました。もうとっくにシーズンオフだったので観客も少なく、ゆったりと見ました。
しかし、なるほど見る甲斐はありました。
なんといっても地元岐阜ですので 古川と思しきあの地方一帯の描写
実際にもあの通りの巫女舞
隕石の惨事描写は、県の東西は違えど、数年前の御嶽噴火の惨事を思わずにはいられませんでした。
ストーリーの甘酸っぱさは…先述の通り、もう私たちは、「既に終わっている」世代ですので、まあ、まあ、ということで
この映画は、実に多方面で論じられており、私はまともに見たのは1回だけですから、偉そうなことは全く言えません。
ただ、私がこの映画で受けた最大のデジャブこそが、この映画のテーマだったように思えたので、一言添えていきます。
忘れちゃいけない人、最も大切にしなければならない人
しかし、その、最も大切な相手の名前を思い出せない事態に陥り、果てしない絶望感にもがく
「君の名は。」のその場面で、大きく動揺した人がほとんどなのではないかと思われます。映画のテーマに直結するところです。
そのシーンに、私は心当たりがありました。
今回のタイトルに挙げた、「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」の、幻のボツシーンです。
上の画像は、1984年「うる星2」公開時に出された「少年サンデーグラフィック10 うる星やつら2 ビューティフルドリーマー特集」の中の1ページです。
名作の誉れ高い押井守監督の「うる星2」。この「ボツシーン」の直前は、次のような場面です。
この映画に出てくる妖怪「夢邪鬼」は、ラムと契約し、ラムの夢の世界を構築していた。あたるたちは知らぬ間に、その、人(ラム&夢邪鬼)の夢の中で動く人物たちにされつつあった。
真相に気付いた登場人物たちが次々と闇に消され、同じく真相に行きついたあたるも「夢邪鬼」が用意した避難所みたいな夢の世界に押し込まれる。
それもよいかと気楽なことを言っていたあたるだったが、肝心なラムのいない不完全さに気付き、この世界をついにすべて破壊。
「夢邪鬼」は、壊された腹いせに、あたるに様々な悪夢を見せつける。「目覚めたら数百年の時が流れ、伴侶のラムは機械の故障で党の昔に亡くなっている夢」
「自らが醜い姿に変えられ、誰からも避けられて生きていく夢」など
その次に、このボツシーンが挿入される予定でした。
この直後、猛烈に落ち込み自失しているあたるに、「夢邪鬼」は言います。
「今のはきつかったやろ。夢でよかったと。夢やったから、やり直しがきくんや。夢で暮らしなはれ。わしと契約せんか。夢の世界で生きるんや」
しかしあたるは、忘れちゃいけない人すべての名前を口にし、最後に「ラム」の名を叫びながら、現実の世界に戻ることに成功する、というシーンです。
「うる星2」はすばらしい名作でしたが、当時からこの幻のボツシーンを知る人たちからは、
「なぜあのシーンをボツにした?一番肝心なシーンなのに」
「あのボツシーンこそ、肝だろ?あれがないとつながらないじゃないか」
「あのシーンのあるなしで、作品の価値が数段違っていたはずなのに」
と惜しむ声が引きも切らず、でした。まあいろんな事情があったからでしょうけどね。
「君の名は。」の例のシーンを見て私は、誠に自前の勝手ではありますが、あの幻の「うる星2」の「ボツシーン」が日の目を見たような気持ちになったのです。
ああ、報われた、と
こんな感想もちながら映画見ていたのは、私ぐらいのものだったでしょうけどね
非情にひねくれた視点でありながらも、私は「君の名は。」を見ることができて非常に良かったと思いました。
私の中で、この二つの作品が、紡がれ、結び付けられたのです。新海監督も案外、この「うる星2ボツシーン」を意識していたのかもしれないな、なんて
一人で勝手に考えたりしております。誰も言わないから私の妄想でしょうが。
今回の記事も、本当は前回(5月)すぐに書きたかったのですが、(最近のデジャブその1、の記事です)書く集中力を保てず、結局半年もたってしまいました。
そうこうするうちに他にも書きたいことがいろいろあり、そちらもまとまらず…の半年でした。
1年前散々騒がれた「君の名は。」
「見るべきだ、見なければいけない」
「あんな名作、他にない」
「食わず嫌いとは論議する気にさえなれない」
「これを見ずして、結構ということなかれ(日光見ずして、のことだな)」
珍しいほど若い世代が、こぞってものすごい布教活動をした作品でした。あれほど群れたがらない、冷めた若い世代が、すごい使命感に突き動かされているかの如く語っていました。
我が家もご多分に漏れず息子世代がせかしました。「あれを見ずに語っちゃあだめだよ」と
そうはいっても、我が子世代よ
見る前から、我々世代は、そういう言葉を聞くほど意固地になっていったのだぞ
だって評判を聞けば聞くほど、「転校生」と「時をかける少女」のミックスではないか
お恥ずかしながら我々の世代は、それらの映画で当時胸をきゅんきゅんさせ、「このときめきは自分の心の中にそっとしまっておこう」と
がたいのいい男どもまでもが、これでもかというほどときめいた世代なのだ わかるか?恥ずかしくて口になど出せない青春だったのだ
なぜおまえたちは口に出す?そして強要する?
もう我々の世代では、とっくに終わっている世界なのだぞ
…と言いたかったのですが言えるはずもなく、今年の春、岐阜の映画館でやっていたので家族で見に行きました。もうとっくにシーズンオフだったので観客も少なく、ゆったりと見ました。
しかし、なるほど見る甲斐はありました。
なんといっても地元岐阜ですので 古川と思しきあの地方一帯の描写
実際にもあの通りの巫女舞
隕石の惨事描写は、県の東西は違えど、数年前の御嶽噴火の惨事を思わずにはいられませんでした。
ストーリーの甘酸っぱさは…先述の通り、もう私たちは、「既に終わっている」世代ですので、まあ、まあ、ということで
この映画は、実に多方面で論じられており、私はまともに見たのは1回だけですから、偉そうなことは全く言えません。
ただ、私がこの映画で受けた最大のデジャブこそが、この映画のテーマだったように思えたので、一言添えていきます。
忘れちゃいけない人、最も大切にしなければならない人
しかし、その、最も大切な相手の名前を思い出せない事態に陥り、果てしない絶望感にもがく
「君の名は。」のその場面で、大きく動揺した人がほとんどなのではないかと思われます。映画のテーマに直結するところです。
そのシーンに、私は心当たりがありました。
今回のタイトルに挙げた、「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」の、幻のボツシーンです。
上の画像は、1984年「うる星2」公開時に出された「少年サンデーグラフィック10 うる星やつら2 ビューティフルドリーマー特集」の中の1ページです。
名作の誉れ高い押井守監督の「うる星2」。この「ボツシーン」の直前は、次のような場面です。
この映画に出てくる妖怪「夢邪鬼」は、ラムと契約し、ラムの夢の世界を構築していた。あたるたちは知らぬ間に、その、人(ラム&夢邪鬼)の夢の中で動く人物たちにされつつあった。
真相に気付いた登場人物たちが次々と闇に消され、同じく真相に行きついたあたるも「夢邪鬼」が用意した避難所みたいな夢の世界に押し込まれる。
それもよいかと気楽なことを言っていたあたるだったが、肝心なラムのいない不完全さに気付き、この世界をついにすべて破壊。
「夢邪鬼」は、壊された腹いせに、あたるに様々な悪夢を見せつける。「目覚めたら数百年の時が流れ、伴侶のラムは機械の故障で党の昔に亡くなっている夢」
「自らが醜い姿に変えられ、誰からも避けられて生きていく夢」など
その次に、このボツシーンが挿入される予定でした。
この直後、猛烈に落ち込み自失しているあたるに、「夢邪鬼」は言います。
「今のはきつかったやろ。夢でよかったと。夢やったから、やり直しがきくんや。夢で暮らしなはれ。わしと契約せんか。夢の世界で生きるんや」
しかしあたるは、忘れちゃいけない人すべての名前を口にし、最後に「ラム」の名を叫びながら、現実の世界に戻ることに成功する、というシーンです。
「うる星2」はすばらしい名作でしたが、当時からこの幻のボツシーンを知る人たちからは、
「なぜあのシーンをボツにした?一番肝心なシーンなのに」
「あのボツシーンこそ、肝だろ?あれがないとつながらないじゃないか」
「あのシーンのあるなしで、作品の価値が数段違っていたはずなのに」
と惜しむ声が引きも切らず、でした。まあいろんな事情があったからでしょうけどね。
「君の名は。」の例のシーンを見て私は、誠に自前の勝手ではありますが、あの幻の「うる星2」の「ボツシーン」が日の目を見たような気持ちになったのです。
ああ、報われた、と
こんな感想もちながら映画見ていたのは、私ぐらいのものだったでしょうけどね
非情にひねくれた視点でありながらも、私は「君の名は。」を見ることができて非常に良かったと思いました。
私の中で、この二つの作品が、紡がれ、結び付けられたのです。新海監督も案外、この「うる星2ボツシーン」を意識していたのかもしれないな、なんて
一人で勝手に考えたりしております。誰も言わないから私の妄想でしょうが。
私もビューティフルドリーマーとの類似性やボツシーンを思い出して、ここへたどり着きました。
同じことを感じた人がいて嬉しくなりました。
ありがとうございます。
他のところで尋ねても全く無反応だったので、この二作をつなげて考える人は誰もいないのだと、孤立無援のような気持ちでいたのです。
うれしいです。ありがとうございました。