つぶやき............

パーカッショニストMasa(海沼正利)の『つぶやき...』
不定期でつぶやきます(^o^)。

我が師匠からの初メール

2011-09-20 | インポート
私の師匠は有賀誠門(アルガマコト)という。

N響のティンパニストを経て、東京音大、東京芸大で後進の育成にあたった。

勿論、打楽器奏者として今も現役で活躍なさっている。

7/6「師匠の言葉」で書いた先生です。

       

先生は川越の音楽療法専門学校で即興の授業を受け持っている。

私は先生の紹介でこの学校の打楽器奏法の授業を受け持つようになった。

ときたま、この学校で先生に会う事がある。

突然な事なのでお会いした瞬間は学生のとき見たいになぜかドキリとする(ハハハ....)。

先日もお会いして元気な姿を見て嬉しくなったのだが、なんと先生パソコンを始められたそうで、話に花が咲いた。

メールも打てるようになったとの事で、ではゼヒ、と私のアドレスをわたし、先生のメールを待つ事やく2週間。

お会いする時と同じく、フッとメールが入った。

パワフルで何にでも前向きで超アナログな先生がお手紙の様なメールを送ってくれて、とても嬉しくてここでつぶやいています。

       

私に打楽器の先生は後二人いる。

田舎で初めて付いた塚田貞夫先生。

大学で主に鍵盤打楽器を受け持っていただいた岡田眞理子先生。

それぞれがいなくては私は成り立ってこなかったが、特に有賀先生は音楽だけでなくいろいろなものに対して目を覚まさせてくれた。

有賀語録はまた次回にする事にする(まただ....)。

昭和59年発売の「日本人と感性」という9人の対談の本に師匠が入っている。

今改めて読むと、私の考え方の基本はココにあった事が確認できる。

そして、師匠からのメールはこう閉められている。

「どうぞ心と体に十分気をつけて、よき日々を送ってください。」





              masa.....

日本人と感性 (対話 音楽のトポス)
価格:¥ 1,155(税込)
発売日:1984-01



Jyugoya2011

2011-09-13 | インポート
なぜもこう惹かれるのか。

妖しい光、優しい光。

太古の昔から人を魅了し、その上人間を含めた動物の生態にも強い影響を与える。

信仰も含め、絵や、詩、音楽、すべてに至るまでイマジネーションを震わせる。

我々も、その姿とススキや虫の音に日本人としての郷愁を思い起こさせる。

今年はことさら、この中秋節に月を見上げる事は、人それぞれ様々な想いを抱く事だろう。

自然の余りの大きさに打ちひしがれてしまう昨今、それでも月は光り続ける。

満月はたびたびやってくるのに、この日の月にはなぜか特別な感情を持ってしまう。

さあ、いつものところで待っているよ。

一緒に月を愛でよう。

東の空の色が変わるまで、いつまでもいつまでも眺めていよう。

旧つぶやきでは2007年の9/26にその時の夢見心地が書かれている。旧つぶやき

そして今年は久しぶりに喜多郎さんの様な音を録ってみた。正利myspace

さあ、いつものところで待っているよ。

一緒に月を愛でよう。

東の空の色が変わるまで、いつまでもいつまでも眺めていよう。

我がふるさとを( ^_-)。



          masa......






心はいつもベンチャー

2011-09-11 | インポート
数日前の「先をみすえる人達」に梯おとうさんの話が出て、彼の本に関してはまた後日、なあんて事書いたもんだから久しぶりにガサゴソと見つけ出して読んでみた。

ユーストリームでのインタビューを見た後でもあり、初めて読んだ時より現実味をおびて読めた。

改めて書くまでもなく、ハモンドオルガンやレスリースピーカーに関する事など知りたい人は必読だ。

長い間電子楽器の先端を走ってきた人の一人だけにその知識と経験は莫大なものがある。

それにしては堅苦しいものを感じないのはなぜだろう。

masaは余程共鳴する所があったのか、かなりの場所の角を折っている(^_^;)。

とてもじゃないがすべては無理だが、少しばかり抜き出してみたい。

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「ライフワークは音楽」梯郁太郎著 2001年発行

目的なしではどんなに優れた資料でも役に立たない。

音に対するイメージというのは非常に不思議なもので、技術的には出ないと思い、出せないはずの音も、その演奏される会場、演奏者そしてその聴衆、雰囲気で大きく変わるという事である。

チャンスは目の前にあるときに捕まえなければ駄目、という教訓はいつも正しい。

「重要度の順序を間違えずに判断をするように」という彼のアドバイスを思い出し、無事切り抜けることができた。

日本の文化の中には、他の文化を受け入れて消化し、新しく世界に問いかけることができる"能力"があると信じている。

大きな決断が生涯に何度もあるのは、何度もチャンスに出会ったという事である。

私はこの外部とのコミュニケーション機能こそがデジタル楽器の一番大きな利点だと考えている。

不足している部分を補完する方法を見つけ出す事で成功率を飛躍的にあげられるのではないかと思う。

共通の答えはないが、共通の考え方はある。

一人でやっていると思う仕事でも、事実は相当多くの人に支えられているものである。

どの仕事でも責任を持って進めていくには、中長期のレンジで方向感を見失わない事が非常に大切である。

競争のない所に繁栄はない。

自分の予測を信じて続けるのは大変な仕事であるが、他の人から間違いを指摘されたときに、それを素直に聞けるようになるのは、自分で予測するより余程難しい事だと思っている。

過去の経験は楽器の開発にとって大切な部分であるが、新しいプロジェクトを進めるのにはかえって邪魔になることもある。

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インタビューでもそうだし、直接会った時もそうだし、この本を読んでもそうだが、いろんな苦労は当然あったはずなのに彼からは負のイメージは感じない。

いつも前向きに明るく、その言葉は明快である。

そしてなんといっても仕事、音楽、生きる事をエンジョイしているように感じるからこそ、良い循環が生まれるのだろう。

先輩たちの生き様は参考になるなあ。



              masa.....




ライフワークは音楽 電子楽器の開発にかけた夢ライフワークは音楽 電子楽器の開発にかけた夢
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発売日:2001-04-11



ウチのにわニワ、

2011-09-09 | インポート
ウチには大きくはないが四季折々楽しみのある庭がある。

こんな庭でもほっておくとアッという間にジャングルと化してしまうので年2回草むしりをするわけだが、

それこそこんな庭でもココならではの生態系があることに驚きと感動をうける。

植物系についてはいつか書くとして.......。

は虫類、昆虫系は言うに及ばず、鳥やネコなども遠慮なくやってくる。

一番偉そうなのがどこぞのネコ。

草むしりが終わって地肌がのぞくと、見ていないときにトイレとして利用しやがる。

あまり家にいる事がないせいか、ときたまテラスの椅子の上で丸くなっていて、

部屋の中にワタシを見つけると「なんだオマエ」てな顔をする。

もちろん庭を縦横無尽に通り抜ける。

鳥などは珍しい種も来るらしく、聞いた事のない声がたまにしているし、

いい声の彼が(姿は見た事ない)同じ時間に美声を聞かせてくれる。

ウグイスなぞは若い頃の鳴き方から成長して上手に鳴くようになるまで楽しませてくれる。

しげぞう(おっちょこちょいカラス)もたまに顔を出すなあ。

は虫類、昆虫系はそれこそ豊富で、ジャングルな時とさっぱりしているときとでは騒がしさが違う。

ウチのヌシはバッタだ。

ヤモリもたまにうろうろしてる。

ちょっとコワモテの蜘蛛がたまに罠をはる。

熊ん蜂やスズメバチなど、ドキッとする様な方々もいらっしゃるが、特にあの熊ん蜂の飛び方は独特の貫禄がある。

クラシックの曲で「熊ん蜂の飛行」という曲がある。

彼らが飛ぶさまを描写している名曲だが、きっとこれは獲物を追っていたり怒っている時の飛び方なんだろう。

ウチの庭に来る皆さんはゆ~っくり飛んでくる。

そう、どこからともなく「ブ~ン(印象としてはゴ~ッ)」という羽音が聞こえ、下々の者達を見回りにくる帝王のようだ。

特大の爆撃機がやってきて通り過ぎていくイメージだ。

今のところ制裁は(?)受けていないがコワいので隠れて見ている。

四季折々でいろいろな方々が生息し、庭の状況によってその生態系もかわってゆく。

楽しめる庭だが................蛇の抜け殻も見た事がある........と、いうことは.................。




                masa.....




子守唄、大募集!!

2011-09-03 | インポート
すごい!、こんなに続けてつぶやいているなんて、前代未聞だわっ!。

ギネスにでも申告しようかしら。

ま、ヒマである事を露呈しているわけなのだが.....。

思いつきや、うっかり(?)で買ってしまった本を読み終え、やっと、前から読もうと思っていた本にとりかかる。

ツイッターでもつぶやいたがワタクシ浮気性なもので、今この本読んでいるのに次の本を読みはじめる事が多々ある。

その読んでいたうちの一冊、

西舘好子著「子守唄の謎」

まあ、言ってみればこの本もある時インターネットで見つけ買い求め、それまで読んでいた本をほっぽらかして読み始めた本なのだが...........(^_^;)。

昔まだ学生の頃、自分のコンサートの為に童謡を調べた事がちょいとあり、ま、海沼だけにね(わかるかな?)。

日本の歌の中でも子供に関する事はちょっとだけ引っかかりやすい傾向がある。

まあ、それはさておき。



子供を寝かしつけたり遊ばせたりする歌は人の住んでいるところ、どこにでもある。

その歌がどんなルーツを持っているのかは、やはり調べてみないとわからないもんだ。

昔からあると思っていた歌が、実は何かを題材にして近年作られていたものであったり、ココの土地の歌だと思っていたものが、実は別な所のものだったり.....。

これはいわゆる民謡もそうだけど、調べるのは大変だが実に興味深いものでもある。

しかも、土地土地でその生活背景により千差万別なうたがある。

いや~、おもしろいね~。

かくいうワタクシも、きっと御幼少の頃は母上の背中やおばあちゃんの背中などで聞いた「はず」である。

いや~、憶えていないもんです。

そりゃそうですよ、なにせ御幼少の頃ですから。

近々母上に聞いてみようと思っているのですが、そのときワタクシふと思ったのです。

この「つぶやき」をご覧になっている方は10名前後はいらっしゃるようです。

みなさんが聞いてきた、あるいは今(なう)うたってあげている、うたってあげてきた歌を聞いてみたい。

どんな土地で、どんな歌が響いていたのか.......。

寝かせ歌、遊ばせ歌、何でも結構です。幼少の頃の歌を、その歌詞を教えてくれませんか?。

きっと、いろんな思いの詰まった歌なのでしょうね。

そんなに古くないこの日本にいた、子守りをする為に奉公していた「まだ子供の子守娘」の声が聞こえてくるようです。




               masa.....