つぶやき............

パーカッショニストMasa(海沼正利)の『つぶやき...』
不定期でつぶやきます(^o^)。

Djembe Fola!

2023-06-22 | 日記

改めて感謝を心に刻む日は次から次へとやってくる

 

一本の映画でその楽器の認識を改めなければならなかったその男は

 

それまで自分が目にしていたその楽器の音や演奏とは全く異なる事に驚き

 

よりこの楽器に魅せられていき

 

その音を含む彼の地にも思いを馳せた

 

しかしまだそこへは脳内でしか行ったことがない

 

映画はDjembeという楽器のお話だが

 

いろいろと通づるところがあり

 

ワタシの一つのバイブル的な映画になった

 

Djembe Fola(ジャンベ フォラ)とは

 

名手であることだけではなく

 

ジャンベで叩く全てのリズムを正しく扱うことができ

 

その語り継がれてきた歴史を正しく知っている人にしか与えられない

 

聖なる称号だ

 

ママディ ケイタ

 

あなたの足元にはまだまだたどり着けそうにないが

 

これからもその足跡を辿っていきます

 

安らかに。。。(2021'6/21没)

 

 

     Masa...

 

 

 

 


キッカケはギタリスト故.津村和彦さんだった

2023-06-17 | 日記

Tumba Créoleが海沼バンドとして始まったのが1990年

キッカケはギタリスト故.津村和彦さんだった

津村さんと知り合ったのは確かベースの越智泰彦さんの紹介だったと思ふ

 

津村さん越智さんとワタシで分倍河原のバベル2ndというしっぶいライブハウスでよく演奏した記憶がある

その津村さんが当時新しく八幡山にできたサムシングエルス(今はもう無い…)というライブハウスに出ていて「海沼もやってみたら」と背中を押してくれたと記憶している

 

忘れもしない最初のライブは

ワタシ、津村和彦(g)さん、越智泰彦(b)さん、太田惠資(vln)さん、高田真(Dr)さんだった

 

学生時代から知り合いだったパーカッションのコスマス カピッツァにも声かけたがあいにくこの日は合わず2回目のライブから参加してもらった

コレが後のTumba Créoleになる

 

自分の作った曲が音になっていく

自分の思い描く音世界が現実になっていく

その事に喜ぶ間も無く

ライブをするという事に夢中になっていった時代だった

 

ある日

津村さんは『アメリカへ行く』と言った

どのくらいいられるか分からないけれど今しかない と

 

バンドは津村さんから小畑和彦さんにギターが代わりTumba Créoleとバンド名もついてさらに活動の場を広げていった

 

その後

アメリカから日本に帰ってきていたこともしばらく知らず

ずっと津村さんには会えず

具合を悪くされていることは風の噂で知っていたが

ある日 訃報を聞く

 

津村さんがアメリカに行く前に言ってくれた言葉があった

『海沼はいいヤツなんだから、人の目を気にせず人に気を使わずドンドンやりたいことをやれば良いんだよ』

 

自分がいいヤツかどうかは分からない

しかしその後の言葉については微妙なまま当時の津村さんより年齢を重ねてしまっている

毎年 この日にこの言葉を思い返しては

いろいろと思い巡らす

 

バンドの音が暖かいと言われることが多かったのは

津村さんのギターの音が私のやりたい事に暖かさを添えてくれていて

それが自然とバンド全体のサウンドの特徴の一つになっていったからだと思っている

 

2015年6月17日享年58歳

津村和彦さん

どうか安らかに

 

 

     Masa...