Tumba Créoleが海沼バンドとして始まったのが1990年
キッカケはギタリスト故.津村和彦さんだった
津村さんと知り合ったのは確かベースの越智泰彦さんの紹介だったと思ふ
津村さん越智さんとワタシで分倍河原のバベル2ndというしっぶいライブハウスでよく演奏した記憶がある
その津村さんが当時新しく八幡山にできたサムシングエルス(今はもう無い…)というライブハウスに出ていて「海沼もやってみたら」と背中を押してくれたと記憶している
忘れもしない最初のライブは
ワタシ、津村和彦(g)さん、越智泰彦(b)さん、太田惠資(vln)さん、高田真(Dr)さんだった
学生時代から知り合いだったパーカッションのコスマス カピッツァにも声かけたがあいにくこの日は合わず2回目のライブから参加してもらった
コレが後のTumba Créoleになる
自分の作った曲が音になっていく
自分の思い描く音世界が現実になっていく
その事に喜ぶ間も無く
ライブをするという事に夢中になっていった時代だった
ある日
津村さんは『アメリカへ行く』と言った
どのくらいいられるか分からないけれど今しかない と
バンドは津村さんから小畑和彦さんにギターが代わりTumba Créoleとバンド名もついてさらに活動の場を広げていった
その後
アメリカから日本に帰ってきていたこともしばらく知らず
ずっと津村さんには会えず
具合を悪くされていることは風の噂で知っていたが
ある日 訃報を聞く
津村さんがアメリカに行く前に言ってくれた言葉があった
『海沼はいいヤツなんだから、人の目を気にせず人に気を使わずドンドンやりたいことをやれば良いんだよ』
自分がいいヤツかどうかは分からない
しかしその後の言葉については微妙なまま当時の津村さんより年齢を重ねてしまっている
毎年 この日にこの言葉を思い返しては
いろいろと思い巡らす
バンドの音が暖かいと言われることが多かったのは
津村さんのギターの音が私のやりたい事に暖かさを添えてくれていて
それが自然とバンド全体のサウンドの特徴の一つになっていったからだと思っている
2015年6月17日享年58歳
津村和彦さん
どうか安らかに
Masa...