3月6日に世界の民謡を歌うORINOVIVOのライブがあった
今回の新曲はウズベキスタンとバスク地方だったが
ライブ前に配布された「オリノヴィーヴォ タイムス17」に
古い思い出を寄稿したので
ここにもシェアします
ひょっとしたらどこかでつぶやいていた内容だったかもしれないが
せっかくなので、、、、、
......................................................................................................
わたしとウズベキスタン(海沼のつぶやきブログ風で)
それはわたしが学生の時だった。
わたしのコアなファンなら(?)ご存知だと思うが、わたしの大学の先輩たちはとてもひど、、、素敵な人たちばかりで、田舎から出て来た若い海沼を先輩それぞれの活動の現場に引きずり回してくれちゃうのでした。
その事は、後の海沼の活動にこうも多大な影響を与える事だったのかをその時は知る由もなかったのだが、実はその中で偶然にも今回ORINOVIVO選曲に繋がっている事がある。
その先輩はインドタブラの名手で、当時吉祥寺にあった民族音楽センターに深く関わり、センターが経営していた民族音楽のライブが催される羅宇屋というレストランのメイン演奏家であった。
彼はここにわたしを連れて行った。
その理由は大きく2つ。
わたしが彼の活動に興味を持った事と、ほぼ毎日演奏される彼の参加するグループのいくつかを誰かに変わって貰いたいと彼が思っていた事。
わたしは東京に出て来たばかりで音楽のことはもちろん、楽器を演奏する事(特に人前で)に関しては初心者だった。
そんなわたしでもとっかかりやすいと彼が選んだ楽器はダルブッカという打楽器。
そしてそれを扱うグループを2つ私に託したのであった。
トルコ音楽楽団と中央アジア音楽楽団。
なぜアラブ音楽楽団を託さなかったかは今回触れない。
トルコ楽団ではもちろんトルコ全土で行われる音楽、そしてこの中央アジア楽団は、ウイグルの音楽とウズベキスタンの音楽をメインにレパートリーにしていたのだった。
時はたち、、
縁あってバンドマスターを務めるORINOVIVOに、その頃お世話になった先輩への感謝を還元すべく、日夜、ンー十年前の資料を掘り起こしているところである。
是非、わたしの甘酸っぱい(?)思い出とともにウズベキスタンの歌を楽しんでもらえたら嬉しいです。
..................................................................................................................................
「後記」
当時使っていた楽器は
文中に出てくる楽器ダルブッカと
もう一つドイラという枠太皷
ダルブッカは手に入れやすくなったが
ドイラは現地で聞くことの出来る音の出るモノは未だなかなか手に入らない
ライブ後の到着で残念であったが
日本でも気候に左右されないプラスチックのものを現地から直接仕入れた
その音は
ちょっと
甘酸っぱい、、、、、、
Masa...
今回の新曲はウズベキスタンとバスク地方だったが
ライブ前に配布された「オリノヴィーヴォ タイムス17」に
古い思い出を寄稿したので
ここにもシェアします
ひょっとしたらどこかでつぶやいていた内容だったかもしれないが
せっかくなので、、、、、
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わたしとウズベキスタン(海沼のつぶやきブログ風で)
それはわたしが学生の時だった。
わたしのコアなファンなら(?)ご存知だと思うが、わたしの大学の先輩たちはとてもひど、、、素敵な人たちばかりで、田舎から出て来た若い海沼を先輩それぞれの活動の現場に引きずり回してくれちゃうのでした。
その事は、後の海沼の活動にこうも多大な影響を与える事だったのかをその時は知る由もなかったのだが、実はその中で偶然にも今回ORINOVIVO選曲に繋がっている事がある。
その先輩はインドタブラの名手で、当時吉祥寺にあった民族音楽センターに深く関わり、センターが経営していた民族音楽のライブが催される羅宇屋というレストランのメイン演奏家であった。
彼はここにわたしを連れて行った。
その理由は大きく2つ。
わたしが彼の活動に興味を持った事と、ほぼ毎日演奏される彼の参加するグループのいくつかを誰かに変わって貰いたいと彼が思っていた事。
わたしは東京に出て来たばかりで音楽のことはもちろん、楽器を演奏する事(特に人前で)に関しては初心者だった。
そんなわたしでもとっかかりやすいと彼が選んだ楽器はダルブッカという打楽器。
そしてそれを扱うグループを2つ私に託したのであった。
トルコ音楽楽団と中央アジア音楽楽団。
なぜアラブ音楽楽団を託さなかったかは今回触れない。
トルコ楽団ではもちろんトルコ全土で行われる音楽、そしてこの中央アジア楽団は、ウイグルの音楽とウズベキスタンの音楽をメインにレパートリーにしていたのだった。
時はたち、、
縁あってバンドマスターを務めるORINOVIVOに、その頃お世話になった先輩への感謝を還元すべく、日夜、ンー十年前の資料を掘り起こしているところである。
是非、わたしの甘酸っぱい(?)思い出とともにウズベキスタンの歌を楽しんでもらえたら嬉しいです。
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「後記」
当時使っていた楽器は
文中に出てくる楽器ダルブッカと
もう一つドイラという枠太皷
ダルブッカは手に入れやすくなったが
ドイラは現地で聞くことの出来る音の出るモノは未だなかなか手に入らない
ライブ後の到着で残念であったが
日本でも気候に左右されないプラスチックのものを現地から直接仕入れた
その音は
ちょっと
甘酸っぱい、、、、、、
Masa...