つぶやき............

パーカッショニストMasa(海沼正利)の『つぶやき...』
不定期でつぶやきます(^o^)。

Tsulezuletter 二五

2012-02-23 | インポート
@Masa
   徒然草を包み込むように横たわっている感情の一つに「はかなさ」がある。
   そう、無常。
   そして、数回出てくるものに、
   「こんなになっちゃって、その時は変わるなんて思っても見なかっただろうな」
   というもの。
   その関係で、「そんな先の事より、今の事を」というのもある。
   長いのでやはり抜粋で...。



飛鳥川の淵瀬のように、変わりやすいのが無常のこの世のならいであるから、時移り、事は過ぎて、歓楽や哀傷の往来して、華麗であった場所も住む人のない野原となり、変わらぬ家があれば、住む人のほうで変わってしまった。
たとい昔ながらに咲き誇るともに桃李は物言わぬものであるから、だれを相手に昔語りをしようか。
まして見も知らぬ遠い昔の高貴な人々の趾にいたっては、実にはかない。
               
               ?




           Masa...


Tsulezuletter 十九

2012-02-19 | インポート
@Masa
  季節の描写がまことに美しい。
  景色や匂いや音、風の具合までもが目に浮かぶようだ。
  ちょっと長いので出だしだけ。後は実際に読んで体感してください。好訳(^_^)。


季節の移り変わりこそ、何かにつけて興の深いものではある。

感情を動かすのは秋が第一であるとはだれしも言うけれども、それはそれでいいとして、もういっそう心に活気の出るものは、春の景色でもあろう。
鳥の声などは、とくに早く春の感情をあらわし、のどかな日ざしに、垣根の草が萌えはじめる時分から、いくぶんと春の趣ふかく霞も立ちなびいて、花もおいおいと目につきやすくなるころになるというのに、おりから西風がつづいて心おちつく間もなく花は散ってしまう。
青葉のころになるまでなにかにつけて心をなやますことが多い。
花たちばなはいまさらでもなく知られているが、梅の匂いにはひとしお過ぎ去ったことどもが思いかえされて恋しい思いがする。
山吹の清楚なのや藤の心細い有様をしたのなど、すべて春には注意せずにいられないような事象が多い。

                   ?


@Masa
  この後、四月から大晦日までいろんな描写がされていく。
  最後の方で面白い一言が......


                   ?

死人の来る夜というので魂を祭る風習はこのごろでは都ではしなくなったのに、関東ではまだしていたのは、奥ゆかしかった。
                   ?


@Masa
  そうだよ、この頃は関東は田舎だったから都でやらなくなった風習もまだ残っていたんだよ。
  関東ったってひろいよ、どこだろな。
  ところで、どんな風習?。お盆か?。





? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? Masa...



Tsulezuletter 七

2012-02-12 | インポート
あだし野の露が消ゆることもなく、鳥部山に立つ煙が消えもせずに、人の命が常住不断のものであったならば、物のあわれというものもありそうもない。人の世は無常なのがけっこうなのである。

生命のあるものを見るのに人間ほど長いのはない。かげろうの夕べを待つばかりなのや、夏の蝉の春や秋を知らないのさえもあるのである。よくよく一年を暮らしてみただけでも、この上もなく、悠久である!

飽かず惜しいと思ったら千年を過ごしたところで一夜の夢の心地であろう。いつまでも住み果たせられぬ世の中に、見にくい姿になるのを待ち得ても、何の足しにもなろうか。長生きすれば恥が多いだけのものである。せいぜい40に足らぬほどで死ぬのがころ合いでもあろうか。

その時期を過ぎてしまったら、容貌を恥じる心もなく、ただ社会の表面に出しゃばることばかり考え、夕日の落ちてゆくのを見ては子孫の可愛さに、ますます栄えてゆく日に会おうと生命の欲望をたくましくして、いちずに世情を貪る心ばかりが深くなって、美しい感情も忘れがちになってゆきそうなのかあさましい。


@Masa
    一年て長いなぁ(最近は短く感じるけど)。
    生き恥をさらす...じゃないけど、それにしても40とは...。
    今の世なら相当クレームの来そうなツイートだ。


        Masa...



Tsulezuletter 序

2012-02-12 | インポート
中高生の頃に勉強して以来、身近にいなかった吉田兼好著の「徒然草」。

ひょんなことから目に留まり改めて読んで見た。といっても、原作ではなく佐藤春夫さんの現代語訳でだが。

本の中の一節が目に触れた瞬間目が離せなくなった。きっと現代語だったからこそ目に着いたのだろう。つまり、読めた、というナニで....。

原語でかかれていたらどうであったか....。

奇しくも数日前にインターネットでお経の現代語訳、それも「コレはブルースか」と思わせるような訳し方のものを見たり、さらに前には花伝書を読んだりしていて、しかも、目に着いた文章は音楽関連の内容だったこともあり、興味がひかれたんだね。

こういうのを「流れ」というか、「呼ばれた」とかいうのかもしれないが、そこは深入りせず楽~に解釈して、偶然ということで....。

読み進めるごとに思ったのは、実にマイペースに好き勝手なことを書いているなぁ、ということ。

読者を意識して書いてはいるが、なんとテーマの乱雑なことよ。こりゃあ現代でいう所の「ツイッター」ではなかろか~。と思ったら急に身近に思えてきました。

そ・ん・な、吉田くんが書いたツイート集「徒然草」の中から個人的にツボだったツイートを徒然なるままにリツイートしたいと思います。


     Masa...