つぶやき............

パーカッショニストMasa(海沼正利)の『つぶやき...』
不定期でつぶやきます(^o^)。

備忘録

2021-06-28 | 日記

とある仕事のために取材を続けている

 

取材と言っても誰かに会うわけでなく(今のところ)

 

インターネットと本と映像と音源のみである(今のところ)

 

ネットというのは時に怖くて

 

無数の寄り道が完備され

 

さらにはそちらの方がさも魅力的であるような体裁を整えている

 

もちろん中にはお宝が隠されていることもあり

 

なかなかに厄介な図書館である

 

これは

 

その寄り道の一つで

 

自分のあてにならない『記憶』との邂逅である

華やかに見えるステージと高級そうな客席と天井の高い広い会場

 

今はなきナイトクラブ

 

赤坂「ニューラテンクォーター」

 

火災を起こしたホテルニュージャパンの地下にあった

学生時代の若きカイヌマは

 

当時ニューラテンクオーターのハウスバンドメンバーであったパーカッショニスト佐久間善之さんのトラで(という記憶があっているのかどうか.....)複数回そのステージの片隅に立った

 

(別な方のトラだった可能性もある)

 

年代の記憶が間違っていないか確かめたところ

 

お店は1989年の5月に閉店しているので

 

1989年3月卒業のカイヌマは

 

間違いなく学生時代にトラに行っていた

 

(トラとはエキストラの略で、その人の代わりに、あるいは正規メンバーに助っ人的にプラスされる場合に使われる言葉)

 

右も左も、ジャズも、芸能界も、商業音楽も、ダンスホールも、夜の街も

 

何にも知らないウブな(?o?;)カイヌマは

 

相当な緊張感を持ってバンドメンバーの皆さんと会った時の事だ

 

どなたかかはもう忘れてしまっているが、管楽器の(多分)相当なベテランの方にこう問われた

 

「どちらのバンドからいらっしゃいましたか?」

 

「いえ、そうではなくて....」

 

「ああ、ひろい、の方ですね」

 

「....は、はい.....」

 

というような会話だったと思う

 

『ひろい』とは何か、その方に聞く勇気もなく

 

与えられたパーカッションの楽譜の山からバンドマスターの「45番!(番号は定かではない....)」という楽譜を取り出し....

 

ている最中にカウントが聞こえ演奏が始まった

 

無い頭で想像できる全てを持って導き出した『ひろい』の意味は

 

{どこかに所属していないフリーのミュージシャン、いわば広〜くお仕事をしている人のこと}

 

『広い』

 

だった

 

先輩に聞くこともなく数十年

 

『広い』の反対は『狭い』なのかな、とも深く考えず

 

何せその方に言われた以外、今までその言葉を聞くことなかった(と、思う^o^;)

 

その方のみが使っていた言葉だったかどうかもわからず記憶の片隅に追いやられていた『ひろい』

 

それが昨今の取材の中で急にポンと目の前に飛び出て来たのである

 

戦後、進駐軍のクラブに演奏に行くミュージシャンたちがたくさんいた事は知っていた

 

バンド単位でも個人単位でもあったこの仕事

 

特にフリーのミュージシャンたちは仕事にありつこうと駅に集まり(楽団に所属していた人もいた)

 

そこに来た仕事を斡旋する仲介業者から必要なパートのミュージシャンがピックアップされトラックに乗せられて進駐軍クラブに向かったという

 

これを『拾い』と言ったらしい

 

クライアントが欲するパートを{拾って}行くのだ

 

つまり、その当時のことをよく知っている方々はフリーのミュージシャンの事を

 

『拾いの人』

 

と言ったようなんである

 

人によっては『広い』だったかもしれないが『ひろい』という言葉にそういう歴史的事実が絡んでいるとは思わなかった

 

海外の音楽芸能などは、もちろん戦前から日本に根付き

 

様々な歴史を乗り越えて現在に至る

 

その関わり方はその人や地域や環境、好みで変わり

 

取材の中でも様々な現象を窺い知ることができる

 

普段、海外のものを調べていく上で気をつけている事は

 

その人が経験した事はその対象の全てでは無い、という事

 

だって、同じリズムであっても人によって呼び名が違っちゃったりする世界です

 

それと同じことが

 

当たり前だけど日本にも言えるのだ

 

あ、脱線した。。。。

 

えっと〜、備忘録なのでお話は完結しないが

 

長く続いて来たジャズ(とりあえずこの言葉を使う)の歴史の流れのホンの片隅に自分の足がかかっていた事に

 

改めてその年月の長さを感じながら

 

さらに取材を続けることにする

トラで出たステージの中で一つだけ鮮明に覚えていることがある

 

その日のスペシャルショーは森進一さんだった

 

ハウスバンドは彼のショーの前後に演奏をするのだが

 

いっぱいのお客様は彼のステージを着席して楽しみ

 

ハウスバンドに演奏が変わった途端に皆立ち上がってパートナーと踊りだすのであった

 

ショービジネスの一幕である

 

        Masa.....


津村和彦さん

2021-06-17 | 日記

今日6月17日はギタリスト津村和彦さんの命日

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そのグループは八幡山にあったサムシングエルスというライブハウスで産声をあげた

今から31年前の1990年

そのグループのギタリストは津村和彦さん

若きカイヌマが初めて立ち上げたグループの初代ギタリストだった

サムシングエルスから今はなき新宿歌舞伎町ザ・カーニバルにホームを移したのち

津村さんは活動の場をアメリカへ移すべく旅立つ

時が流れ

6年前

訃報を聞く

享年58才

旅立つ前の最後のライブで彼の言った言葉が耳に残る

「海沼は人を気にせず自分のやりたいことをやればいいんだよ。みんなのおかげなんてことより自分のしたい事だよ。」

恩師の一人

故.岡田真理子先生にも言われていたことの一つだったっけ

人の目を気にしすぎるカイヌマは

いまだに自分を押し出す力は弱い

感謝すべき人は増え続け

大事にしなければならない人が去っていく

 

グループの2代目ギタリストは小畑和彦さん

あの頃よりは随分とわがままを言わせていただいている

津村さん

どうか安らかに

 

          Masa...