先日の「ボニ プエリ」の感動に後押しされ、Project Caiのライブも無事に終わった。
改めて、声変わりをする前の少年の声はなんと魅力的で美しいんだろうと思う。
もちろん訓練された上での話ではある。
そして、この声質は実は少女(女性)には出せないところに最大のポイントがある。
少年のごく限られた期間に与えられた極上の声なのだ。
こういうのを才能というのであるならば、すべての少年にその才能は存在している。
それを指導者の適切な訓練により、その才能を導き出すことができる。
もちろん、歌う、声を出す、ことにその少年が興味を抱いていることが一番なのだが、
たとえ興味がなかったとて、訓練していく上でその才能と興味が開花していくことはよくあることだ。
レベルの違う話で恐縮だが、
わたしが音楽を始めたきっかけは親からの誘導があったからで、決して自分から飛び込んだわけではない。
特に、まだ年齢が低い場合は大体そんなものではなかろうか。
年齢を重ね、いろいろなことに出会う中で自分というものを強く思い(つまり、好きとか表現手段とか)音楽を選んでいく、とか、
生活のためにどうしても(つまり、言葉通りとか産まれながらそんな一家であるとか)、とか、とはちょっと違う。
なんでこんなことを改めて書き出しているのかというと、、、、、
…………………………………………………………………
今日は久しぶりにピンクショコラで、幼稚園のクリスマス会にお呼ばれして演奏してきた。
小、中、高、など、学校関係に演奏に行くなかで、「幼稚園」というのはちょいと趣が違う。
幼稚園生、ご想像の通り。
3歳とか4歳とか5歳とか、、。
およそあたしの時計に合うはずもない(^_^;)。
でも、一緒に楽しむことはいくらでもできる( ^ω^ )。
そんな楽しい時間の中、時々見かける光景というのがある。
まだそんなに世間に触れていない彼らが持つ可能性というのは無限大で、先の話題に関連づけると、その才能も無限である。
わたしらが思っても見ない事を彼らは平気でやってのける。
というより、狙っていない。
幼稚園でのコンサートの場合、演奏だけよりも、一緒に歌えるものがあるととっても楽しい。
で、
彼らが知らない歌の時に、時々見かける。
歌手の口元を見て、出てくる言葉を自分の口で追うのだ。
追うだけではない。
こちらから見ていると、さも知っている曲を歌ってるように見えるのだ。
つまり、耳から入った音と目から入った口の動きをもとに、
即座にその歌を自分で再現している、という事なのだ。
もちろん、本人にその強い目的はないと思う(本能的なのははぶいて)。
すぐ、別な事をしたりするからね(^_^;)。
でも、これってあたしがやろうと思ってもなかなかできることではない。
これは、才能というの?。
誰でもできることなの?。
誰かが教えたの?。
時々きく話題で、人間の脳はほんのちょっとしか使えていないらしい。
その使われていないところを使うことでとんでもない可能性を見出すことができるという。
もし、それが本当だとすると、
彼らはすでにそこを使っていて、歳を経るとともに使えなくなって行くのか、、、、
はたまた、すごいパワーがあるので大きくなるにつれてそれを抑制して行く本能がある、とか、、、
まあ、妄想の域をでない(^_^;)。
しかし、個人の才能を伸ばす、とか、見つける、とか、いろいろ言われる中で、
よくよく見ると、実はすべての人が共通のできる事を持った上で、
その人の環境によりそれぞれの道へ進んで行く、という、
ごく当たり前のことの出発点をココ幼稚園ではワリと簡単に見いだすことができるのだ。
才能とか素質、という言葉を、ムチャに解釈すると、
後々訓練された結果の理想的原因といったところか。
幼稚園ぐらいの歳の子を見ていると、
大きくなってから、この人がこんなことができるなんて思っても見なかった〜、という驚きをあまり感じない。
うん、もともとできるんだけど、やっていなかっただけかも(^_^;)、とか思っちゃったりね。
う、話しがバラバラになってきた。。。。。
…………………………………………………………………
なんせ、楽しい時間だった(о´∀`о)。
大雑把な統一感はあるが、皆それぞれな反応をしているし、起こしている行動もそれぞれだ。
社会に適応して行くため、というより、社会の中で潰されず自分を保っていかれるための訓練を、
彼らはこれから始めていく。
そんな彼らを見守っていってあげたいと、思う。
Masa...
PS.あたしのトナカイ姿はとんでもなく素敵でしたが、残念ながら写真がないので、幼稚園の入り口にいた守衛さんを(о´∀`о)。
改めて、声変わりをする前の少年の声はなんと魅力的で美しいんだろうと思う。
もちろん訓練された上での話ではある。
そして、この声質は実は少女(女性)には出せないところに最大のポイントがある。
少年のごく限られた期間に与えられた極上の声なのだ。
こういうのを才能というのであるならば、すべての少年にその才能は存在している。
それを指導者の適切な訓練により、その才能を導き出すことができる。
もちろん、歌う、声を出す、ことにその少年が興味を抱いていることが一番なのだが、
たとえ興味がなかったとて、訓練していく上でその才能と興味が開花していくことはよくあることだ。
レベルの違う話で恐縮だが、
わたしが音楽を始めたきっかけは親からの誘導があったからで、決して自分から飛び込んだわけではない。
特に、まだ年齢が低い場合は大体そんなものではなかろうか。
年齢を重ね、いろいろなことに出会う中で自分というものを強く思い(つまり、好きとか表現手段とか)音楽を選んでいく、とか、
生活のためにどうしても(つまり、言葉通りとか産まれながらそんな一家であるとか)、とか、とはちょっと違う。
なんでこんなことを改めて書き出しているのかというと、、、、、
…………………………………………………………………
今日は久しぶりにピンクショコラで、幼稚園のクリスマス会にお呼ばれして演奏してきた。
小、中、高、など、学校関係に演奏に行くなかで、「幼稚園」というのはちょいと趣が違う。
幼稚園生、ご想像の通り。
3歳とか4歳とか5歳とか、、。
およそあたしの時計に合うはずもない(^_^;)。
でも、一緒に楽しむことはいくらでもできる( ^ω^ )。
そんな楽しい時間の中、時々見かける光景というのがある。
まだそんなに世間に触れていない彼らが持つ可能性というのは無限大で、先の話題に関連づけると、その才能も無限である。
わたしらが思っても見ない事を彼らは平気でやってのける。
というより、狙っていない。
幼稚園でのコンサートの場合、演奏だけよりも、一緒に歌えるものがあるととっても楽しい。
で、
彼らが知らない歌の時に、時々見かける。
歌手の口元を見て、出てくる言葉を自分の口で追うのだ。
追うだけではない。
こちらから見ていると、さも知っている曲を歌ってるように見えるのだ。
つまり、耳から入った音と目から入った口の動きをもとに、
即座にその歌を自分で再現している、という事なのだ。
もちろん、本人にその強い目的はないと思う(本能的なのははぶいて)。
すぐ、別な事をしたりするからね(^_^;)。
でも、これってあたしがやろうと思ってもなかなかできることではない。
これは、才能というの?。
誰でもできることなの?。
誰かが教えたの?。
時々きく話題で、人間の脳はほんのちょっとしか使えていないらしい。
その使われていないところを使うことでとんでもない可能性を見出すことができるという。
もし、それが本当だとすると、
彼らはすでにそこを使っていて、歳を経るとともに使えなくなって行くのか、、、、
はたまた、すごいパワーがあるので大きくなるにつれてそれを抑制して行く本能がある、とか、、、
まあ、妄想の域をでない(^_^;)。
しかし、個人の才能を伸ばす、とか、見つける、とか、いろいろ言われる中で、
よくよく見ると、実はすべての人が共通のできる事を持った上で、
その人の環境によりそれぞれの道へ進んで行く、という、
ごく当たり前のことの出発点をココ幼稚園ではワリと簡単に見いだすことができるのだ。
才能とか素質、という言葉を、ムチャに解釈すると、
後々訓練された結果の理想的原因といったところか。
幼稚園ぐらいの歳の子を見ていると、
大きくなってから、この人がこんなことができるなんて思っても見なかった〜、という驚きをあまり感じない。
うん、もともとできるんだけど、やっていなかっただけかも(^_^;)、とか思っちゃったりね。
う、話しがバラバラになってきた。。。。。
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なんせ、楽しい時間だった(о´∀`о)。
大雑把な統一感はあるが、皆それぞれな反応をしているし、起こしている行動もそれぞれだ。
社会に適応して行くため、というより、社会の中で潰されず自分を保っていかれるための訓練を、
彼らはこれから始めていく。
そんな彼らを見守っていってあげたいと、思う。
Masa...
PS.あたしのトナカイ姿はとんでもなく素敵でしたが、残念ながら写真がないので、幼稚園の入り口にいた守衛さんを(о´∀`о)。