魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

in earnest

2007-12-27 19:15:31 | Weblog

泣いた君。


僕はどうしようもなくあなたに魅かれています。






多分、この先もうこんなに誰かを想うことはないような気がします。


surprise

2007-12-27 07:23:25 | Weblog
昨日は研究室に忘年会でした。

様々なOB・OGがいらっしゃる中、教授から
准教授の教授就任決定という報告がありました。



月曜に決まったとのことであり、まったく知りませんでした。
とても驚いたとともに、嬉しくも寂しくなりました。




僕は4月に研究室を変わりました。

前にいた研究室で実際に手を動して実験をするということはほとんどやっていなかった僕は、この研究室にきて実験をやるということ、データを解釈するということを本当に理解したと思います。


ラボを実際に動かしている准教授の存在は、僕に大きな影響を与え続けています。


朝早くに、研究室に来て実験や論文を書いている姿を初めてみたとき、
土曜日の午前中に実験をしている姿をみたとき、

時間は自ら作り出すものだということを
時間がないというのは言い訳にすぎないということ
自分の生活を律するということ

僕は理解しました。


また、違う分野から来た僕の粘着質な質問などにも快く答えてくれました。
先生にとっては、めんどくさい学生だったのかもしれません。




本当にやりたい分野ではないけれど、それでも今の研究室で得たものは本当に多いと思います。




朝、クリーンベンチで実験をやっている先生の後姿を見られなくなると思うと
とても寂しいです。

まったく酒が飲めない先生が主役となる飲み会で、先生のトークを聞けなくなると思うと、とても寂しいです。


でも、すぐ近くにいた先生が教授になるということ、新しい研究室をセットアップされるということはとても誇らしいし、嬉しいことだと思います。



いつの日にか、先生に特別講義で呼んでもらえるように、
自分の論文に厳しいコメントがもらえるように、




僕は歩み続けたいと思います。



hold hands 

2007-12-24 12:48:20 | Weblog
 手をにぎれば、そこに他者がいる。すくなくとも私のものではない皮膚のすべらかさが、体温が感じられる。そこで他者が息づいている。けっして私ではなく、しかし、私に近しいものが、そこにあらわれている。―そうではあるけれど、たとえばどれほどつよくにぎりしめても、私のもとめるもの、他者の存在そのものに到達することがない。他者はそこにいるようで、そこにはいない。現われているなかで身をしりぞけ、顕れているようでかくされている。現前することが不在のひとつの形式であるかのように、である。

 それでもなお私は他者の存在に「追いつこう」として、あるいは「遅れ」を取りもどそうとして、いよいよつよくその手をにぎりしめるかもしれない。だが、どれほど力をこめても、つねにそれではない。あるいはそれだけではない。他性そのものはつねに私の手をすり抜けて、無限に後退し、過ぎ去っていってしまうことだろう。他者はつねにとらえきることのできない余剰でありつづけ、私の<手にあまる>ものでありつづける。私の手をすり抜けていってしまうもの、私がいつまでも「遅れ」を取りかえせず、現前のうちに痕跡しか見いだせない存在のしかたのうちに、紛れもなく、他者があらわれている。他者がまさに<他者>であることが顕れているのである。

差異と隔たり/熊野純彦


長い引用となってしまいました。
どの言葉一つとして省略することができない明晰な論理が、ここにはあります。






僕はあなたを理解したくて、手をつよく握る。
その度にあなたの体温に触れ、あなたという他者を痛切に感じ、途方にくれます。



でも、諦めてその手を離してしまえば、そう感じることさえもできない…

限りなく近くて、果てしなく遠くても。